JAPANESE ENGLISH
ウェブ全体から INTERSTYLEから
 COLUMN

skate columnSNOW COLUMN 2013/1/23

COLUMN INDEX

中山二郎
スノーボーダー。
1977年6月25日長野県標高1500mの峰の原高原に生まれる。
17才で初めてスノーボードに乗る。  
また母親の影響で自然環境活動にも参加。にっぽんこどものじゃんぐる初代代表。
1989年雑誌TIMEの表紙になる。コスタリカ、タイの森林保護活動に参加。現在も継続中。
2000年から、スポンサーをえて仲間と各地をスノーバムで旅をしながら、
スノーボードの映像や写真を残し、DVD,雑誌等で活動の記録を残す。
2005年より持続可能なスノーボードと暮らしを求め、仲間とスノーボードブランド
GREEN.LABを立ち上げる。
スポンサー:GREEN.LAB、山喜ウッドコア、IPATH、SATORImovement、
LADEclothing、まる文農場、ペンションふくなが、峰の原高原スキー場
出演DVD:icon7(ebisfilm)、八甲田(okaken cinema)、D.I.Y(GREEN.LAB)
1回目 2013/1/23 『laboratory of green life』
2回目 2013/2/6 『laboratory of green life#2
3回目 2013/2/13 『通学路と"滑る事"と"遊び心"』
4回目 2013/2/18 『Go Standard.Go Straight.』

『laboratory of green life』


どーも。兄の中山一郎からコラムを引き継ぎしました弟の中山二郎です。
好きな事書きますので、お時間あるときにでも適当に読んでみてくださいな。


僕は生まれも育ちも長野県須坂市の山の上、標高1500m峰の原高原。
生まれて1歳か2歳には雪の上にいて3歳くらいからスキーを履き、
それから、おじいちゃんにスキーに連れて行ってもらって滑りにいった。
家の前が小さなスキー場(峰の原高原)だから
リフトが乗れるようになると、一人でスキーに行った。
いつもつなぎのウェアをきて夕方遅くなるまでスキーをしたし、
兄のいっちゃんと雪遊びをした。
高校卒業まで、競技スキーを続けた。
ぴちぴちのワンピースを着て100分の1のタイムを競うけっこうシビヤな世界。
そうはいってもスキーが好きな僕にとっては、
毎日学校もいかずスキーばかりしていればよかったし、
合宿ばかりで家にもあまり帰らなくていいし友達と本当に楽しく過ごした。
スキーレース自体はそこそこ楽しんでいたけれど、記録もでないし、いいかげん飽きていた。

そんなタイミングで、17歳ではじめてスノーボードに出会ったのだ。
いっちゃんと一緒に峰の原のスキー場で、となりのペンションのレンタルボードを借りた。
ブーツは白いソレル。
スキーでは転ぶ事等無かったけれど、はじめてのスノーボードは新鮮だった。
本当にこけまくった。
それでも、なんだかかっこ良かったし、楽しくて転びながらも何本かリフトに乗って滑った。
すっごく興奮したのを今でも覚えている。
幸か不幸か、それ以来すっかりスノーボードにはまった。

春は富山の立山室堂にこもり、冬は兄の影響もありアメリカのコロラドにスノーボードに5年程通った。
夏に畑で働いてお金を貯めて毎年2ヶ月コンドミニアムをかりて、みんなで共同生活。
毎日ただスノーボードをするだけのために。
コロラドでのスノーボードは刺激的だった。
めちゃくちゃ長いパークや奇麗なハーフパイプ、ツリーランもパウダーも、有名人も沢山いた。
トッドリチャード、チャドオターストーム、アリゴレ、ジェイネルソン、小林じゅんじ など、
大きなコンテストの時は,さらに大勢のプロライダーがゲレンデをにぎわしていた。
僕も一人でパークに出かけ新しい技を研究したり、アメリカ人の友達とハーフパイプにもけっこう通った。
いろいろなヨコノリのサブカルチャーともその時出会った。

日本にいる時も、峰の原でキッカーつくって相変わらず夕方まで雪の上で遊んだ。
ただただ好きで遊び続ける事で、
スポンサーも何とか自力でゲットしたし、何より沢山の人たちとの信頼できる繋がりが出来た。
もちろんお金はないので夏は農業でお金を貯めた。
それは今でも同じだけど。
繋がりが出来た事で僕のスノーボーディングライフは、さらに勢いを増して滑り続けた。
仲間のおかげですごい斜面やはじめてのロケーションにも行けたし、写真や映像も残せた。

そして,27歳でいっちゃんとナベさんの3人でGREEN.LABを始めた。
僕が一番若かったので、代表になった。
まさか自分がスノーボードブランドを始めるとは思っていなかった。
しかも代表。
けれど、おかげで沢山勉強になった。
やりがいもモノズクリの楽しさも、いままで自分が知らなかった"遊び"を知る事になった。
もちろん、楽しい"遊び"ではあるが、"遊び"はいつも真剣である。
作ったスノーボードを売らないとブランドは消えてしまう。
みんなに乗ってもらえるようにプロモーション、試乗会、展示会、イベント、書類の作成、
電話での営業、お店を回って営業、梱包、発送、クレーム対応、キャンセルの対応、ホームページ、
ブログ、ネットショップ、イベント告知、ウッドコア作り、ボードデザインなどなどやる事は山ほどある。
全部自分でやらなきゃならない。
仲間が一緒だったからくじけずできたけれど、人に雇われて働くのとは全然違う事である。
自分がやった分しか物事が進んでいかないし、さぼったらその分遅れるだけ。
自分がやらないと誰もやってくれない。
まさにD.I.Y.。
やったからって上手く進むとも限らなし、3歩進んで2歩下がるなら最高。
当たり前の事だけど、自分が止まるとブランドも止まってしまう。
だから、つまらなくならないようにいつもクリエイティブが必要になる。
クリエイティブは、楽しい仲間や日々の暮らしの"遊び"の中に存在する。
つまり、たくさん遊ばないと仕事が進まないのだ。
いいモノツクリはできない。
遊ぶ口実、、、。
それから、いつも自分たちのブランドコンセプトを思い出す事がとても大切な事だと思う。
コンセプトがぶれてしまったら何の意味も無い。
売れなきゃ意味が無いなんて思う人もいるかもしれないけれど、
僕にとってはそんなモノは、売れても意味が無いのだ。
そんなことを言っているから、
いつまでたっても売れないかもしれないけれど、僕は信じている。
『お金はあとからついてくる』という言葉を。
うーん、いい言葉だ。
夢がある。
自分がやりたいからやるのだ。
お金を稼ぐだけなら、他の事をしたほうが楽かもしれない。
でも、自分の好きな事で暮らしていきたい。
結局、それしか出来ないのだ。
だから、その中でもがきながらも苦しくても楽しくてもここで踏ん張りたい。
限りある人生。詰まらないと思いながらの一年365日を死ぬまで生きるのか?
ぜんぜん楽じゃないけど、僕は夢を見ながらの一年365日を死ぬまで生きたい。
駄目ならまた考えればいい。死ぬ訳じゃない。
諦めなければきっと夢は叶うはずだから。たぶん、ジョブズもいってたし・・・。
うーん、しっかり成功した人が書いたらかなり説得力があるんだけどな・・・。
でも、いつも『もしかしたら、いけるかもしれない』って思っていられれば幸せですね。
仲間のおかげでいつもそんな気になれます。

次回につづく。


snow column中山二郎
1回目 2013/1/23 『laboratory of green life』
2回目 2013/2/6 『laboratory of green life#2
3回目 2013/2/13 『通学路と"滑る事"と"遊び心"』
4回目 2013/2/18 『Go Standard.Go Straight.』
COLUMN INDEX
最新NEWSはこちらから
COLUMN INDEXはこちらから
SURF COLUMN SURF COLUMN
SKATE COLUMN SKATE COLUMN
SNOW COLUMN SNOW COLUMN
メルマガ配信登録はコチラから
INTERSTYLEmagazine無料掲載ガイド
USNet
 
 
サイトマップFAQ会社概要(主催運営)リンクについてプライバシーポリシー
Copy right © INTERSTYLE Co.,Ltd All Rights Reserved.
Exhibitors Report INTERSTYLE magazine お問合せ INTERSTYLE トップページ