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 COLUMN
skate columnSKATE COLUMN 2009/11/4  
野上"VENIX"竜也
クワガタとビールを愛する自営業スケートボーイ!
SPONSOR:REDI、MASTERMIND、NIKE SB、PROHIBIT、SHELTER SKATESHOP、expression
MY BRAND: DORCUS TOP BREEDING SYSTEM
1回目 2009/11/4 『MY NAME IS VENICE FROM OSAKA!!!』
2回目 2009/11/18 『MY RIVAL IS AMERICAN!!!』
3回目 2009/12/2 『1993~SANT時代!!!!』
4回目 2009/12/16 『SKATE BOARDING IS MY LIFE!!』

『1993~SANT時代!!!!』

どもども~!VENIXです~!
あっという間にまたまた更新ですねー!
第3回コラムは何について書こうかな~、と
考えようと思ったら前回のコラムの時点で書く事決めてました。
1993年~2000年くらいまでのオイラのスケートライフについて書いてみたいと思いますね!
ではLET'S GO!!!


1993年くらいから、毎日スケートしていた服部緑地公園にスケーターがだんだん集まらなくなってきて、
気が付けばオイラVENIXとハチロープロ(前田幸司)、
ヤッシ・デ・ジーザス(井上靖)の3人くらいになってました。
ライバルのアメリカン(梶谷雅文)も奈良に引っ越してしまい、
第一次服部緑地スケート黄金時代は幕を閉じてしまったのです。
ちょうどその頃に知り合ってた先輩スケーターの
リュウ君(現在WORD SWINGAZのMC RY-DOUBLEとして活動)が
SAN DIEGOに留学していたので、SAN DIEGOにスケート修行にも行ってきました。
初アメリカ!
あれはかなり内容の濃い3ヶ月だったなぁ~。
リュウ君が、当時活躍していたトップスケーターとつるんでいたので
夢のようなスケートライフを過ごせたのです。
PLAN BのSAL BARBIER、SEAN SHEFFY、NEW DEALのFRED ORANDE、RENE MATHYSSENなんかと
しょっちゅうスケートしてました。
ちょうどSAN DIEGOに滞在している時に
PLAN BのNEW VIDEO "VIRTUAL REALITY"のWORLD PREMIEREがあったのですが、
何百人が並んでいる中、SEAN SHEFFYと一緒に関係者入口から来場し
WORLD INDUSTRIESの席で鑑賞させてもらえたのです!
隣の席はJERON WILSONだったなぁ~。
あれはヤバかった。
JERON WILSONは"VIRTUAL REALITY"のFRIEND PART(BRIND PART)で初めて見たので、
巨大スクリーンで見て『このガキ上手すぎやんけ!』と思って横見たら
『おまえやんけ!』ってなったのを覚えています。
いやぁアメリカは刺激がハンパない!
411VIDEO MAGAZINE VOL.01で"PLAN B PREMIERE"のパートがあるのですが
ここでCHRIS MILLERとFRED ORANDEがINTERVIEW受けてる後ろでチラッと映るのはオイラVENIX!
チラッとですが世界デビューはなんと411 VOL.01だったのです(笑)

SAN DIEGOから帰ってきてからは、
『週末は大阪市内まで出てきて中之島公園でスケートしてるでぇ~』とアメリカンが言っていたので
自然に中之島公園に行くようになりました。
その中之島公園には同世代のスケーターがたくさんいてこれまたかなり刺激的でした。
レベルは高いしお洒落やしっ!
オタッシュ、エトチン、森君、コーイチ、ムネリン、ツックン、カトちゃん、ヤンシ、セイジ、竜一、
一太郎、井植君、マッサン、チョンチョン、 etc....、最高のメンツでかなり鍛えあげられたなぁ~。
浪速のWORLD INDUSTRIESって感じだったんですよね(笑)
あの頃の中之島CREWは最先端ですべてにおいて敏感でしたもん。
94年の夏には、アメリカンと井植君とオイラの3人でL.A.に1ヶ月スケートしにも行きました。
この時、アメリカンは奈良県在住、井植君は兵庫県在住、そしてオイラは大阪在住だったので
3都市のスケータから構成されるという意味で"SANT"というチームが発足されたのです!
1ヶ月間L.A.とSAN FRANCISCOで撮りためた映像をファミコンのマリオペイントというソフトで編集し、
1st VIDEO "STORY OF THREE METROPOLIS"が完成したのです!
100本を自宅のビデオデッキでダビングし手売りした事をよく覚えています。
あぁ懐かしい...。
後に神戸の入潮正行(現SHELTER SKATESHOPオーナー)、西垣茂雄、中之島ロコの宗ヨシヒロが加わり
2nd VIDEO "ONE FOOTED WHITE DOVE"を94年にリリース!
これは今でも一番お気に入りのVIDEOです!
そして田中竜一を加えた3rd VIDEO "FULL EFFECT"が95年にリリース!
この頃はアメリカンと竜一と毎日のようにスケートしたなぁ~。
最高でした。
最終的には奥村竜一と清水一人が加わり、96年に"PROMO"をリリースしました。
VIDEOをリリースするようになると全国区で"SANT"を知ってもらう事ができ、
関東のスケーターとも交流が持てるようになりスポンサーも付くようになっていきました。
同時期の96年には、EIGHT SKATEBOARD SHOPが大阪南港にオープンし、
オイラはそこで働くようにもなりました。
オーナーの中川さんと『クロージングブランドを立ち上げようよ!』って話になり、
中之島ロコでデザイン専門学校に通っていた岡本一太郎に声をかけて
"EXPRESSION CLOTHING"が発足されたのです。
大阪発のスケートクロージングブランドの誕生でした。
初代メンバーは岡本一太郎、田中竜一、大谷進英、
清水一人、奥村竜一、金本栄太、橋本貴興とオイラVENIX。
96年に1st VIDEO "FIRST SEQUENCE"をリリースし、撮影に明け暮れる楽しい日々でした。
しかし悲しい事も...。
スポンサーとの兼ね合いやチームとブランドとの境界線、バランスがうまくとれず、
チームであった"SANT"は解散する事になったのです。
これは残念だったけど、今では成長していく過程の中で仕方なかった事なのかなと思っています。

"SANT"のお陰でスケートの世界が広がった事は間違いないので"SANT"のみんなには感謝しています。
SANT時代は最高の仲間と最高の時間を過ごす事ができたからね。
"SANT"はオイラのルーツだ!SANT CREW、ブロッコリンCREW、中之島CREWありがとう!
『アメリカンがいたから今の自分があると言っても過言ではない!』と前回のコラムで言ったのですが、
"SANT"があったから今の自分があると言っても過言ではないのです~!(笑)

そして"SANT"が解散した90年代年後半くらいからは
"EXPRESSION"の撮影や、同時期にサポートされるようになった"ZOO YORK"の
撮影やツアーといったスケートライフをおくるようになっていったのです。
それは次回かな。
最終回は"EXPRESSION"から現在に至までを書いてみたいと思います!
ではここら辺で SEE YOU NEXT COLUMN!!!




skate column野上"VENIX"竜也
1回目 2009/11/4 『MY NAME IS VENICE FROM OSAKA!!!』
2回目 2009/11/18 『MY RIVAL IS AMERICAN!!!』
3回目 2009/12/2 『1993~SANT時代!!!!』
4回目 2009/12/16 『SKATE BOARDING IS MY LIFE!!』
 
 
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