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 COLUMN

skate columnSNOW COLUMN 2008/10/22

 

田中 幸(たなかさち)
滋賀県湖南市出身。シゲちゃんとはスノーバ羽島つながりっ!
先シーズン人生最大の大怪我をし、2ヶ月の入院生活を送る。
コラムはその入院中に書いたリアルなもの。
海外へと活動を広げた最中での怪我。
挫折・不安の時間を過ごし、乗り越え、今シーズンの復帰に全力をかけるっ!
田中サチらしいスノーボードの道っっ!!そして、これから・・・
happy life田中サチブログ:http://tanakasachi.seesaa.net/
1回目 2008/10/8 『Happy Life ~入院中~No,1』
2回目 2008/10/22 『Happy Life ~入院中~No,2』
3回目 2008/11/5 『スノーボードライフへの転機』
4回目 2008/11/19 『もう一つのスタートっ』

『Happy Life ~入院中~ No,2』

自分のやりたい仕事、進路もまだわからなかった。
ただ、わかっていた事は「ボートで、漕ぎ手として姉に挑戦したいっ」という事だけだった。
1年先に実業団選手として姉もSONYに就職、ボートを続けた。
私は地元の滋賀銀行からのオファーを受ける事になった。
私の為に自由に使える船を用意してくれるのが就職先を選んだ決め手だった。
ただ、それだけだった。


銀行でOLをする響きは素敵だったけど、
1コ上に高校時代から苦手だった先輩がいた。 
仕事でパートナー、
一緒にびわ湖に足を運び遅くまでの練習。
先輩とダブルスカル(2人乗り)で
大会にでることになり、
一生懸命練習に励んだけど
勝てる事はなかった。

先輩は自分の道を生きていた。
自分の好きな事を実現して、
自分の好きな人と素直に向き合って
自分の好きな道をまっすぐに突き進む先輩がかっこよく思えた。
「幸せになる方法(HAPPYLIFE)」を知っている人だと想った。
先輩に出会って、また自分が変わっていった。
自分のやりたい事をやる。 
簡単なようで、難しい。
でも、本気で自分がやりたいなら不可能なコトではないことを教わった。
スノーボードに出会ったのは19歳の頃。
スキーをずっとやっていたから自然な流れ。
すぐにハマった。
でもそれよりも当時はトレンドもあって、サーフィンに本気になった。
冬になるとボートの練習が自主トレになる。
そのタイミングでスノーボードに行ったり、サーフィンに行ったり。
とにかく時間を見つけてはカラダを動かしてた。
スノーボードはスキだったけど、よりハマるキッカケになったのが21歳のころのショップのツアー。
そこで出会った人達は、本気でスノーボ―ドがスキで、
一生懸命で最高に楽しんでて、そんな空間に一緒にいて
刺激を受けて、本当にその1泊2日の期間で人生が変わった。
その日を境に仕事中もスノーボードのコトを思い出すと心拍数が上がったり、
興奮してどうしようもないくらいに
毎日スノーボードで頭がいっぱいになった。
色んな人とのつながりも増えてきて、
気づいたらサーフィンは部屋の片隅に追いやられて、スノーボードグッズでいっぱいになってた。
室内にも行った。
休日は、朝から晩まで地元のゲレンデ・びわ湖バレイですごした。
失敗しても楽しくて一緒に夢中になれる仲間が増えていくのも最高に楽しかった。
ただ私は好きなコトをしていると自分の「限界」を見失いやすかった。
周りが心配するくらい、突っ込んだ。
怪我も多かった。
腕の脱臼、足首骨折、恥骨骨折、そして、一番苦しかった怪我が、鎖骨骨折。。。
時期が悪かった。
オフシーズン、みんなで室内の大会を参戦して結果を残せるようになってきて、技数もどんどん増えてきて、
翌週にはとうとうゲレンデがOPEN!!ってタイミングでの怪我。
色んなキモチや爆発したのと同時に何かが吹っ切れた。
スノーボードだけをやりたいっっ!!
2003年冬。退社を決意し、2004年4月退社した。



snow column田中 幸(たなかさち)
1回目 2008/10/8 『Happy Life ~入院中~No,1』
2回目 2008/10/22 『Happy Life ~入院中~No,2』
3回目 2008/11/5 『スノーボードライフへの転機』
4回目 2008/11/19 『もう一つのスタートっ』
 
 
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