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snow columnSNOW COLUMN 2016/1/20

 

MC Alee(アリー) 有賀功造
'73 神戸市に生まれ 現在は茅ヶ崎市在住 スノーボード歴22年 スポーツMC歴17年
19歳、スノーボードを始めライダー活動を、、。
25歳、スケートボードの大会企画運営をする中でスポーツMCとなり、、。
36歳、仕事のため、波乗りのため?茅ヶ崎へ移住、、。
MC Alee:http://alee.jp
Sports MC DJ Team REAL:https://www.facebook.com/SportsMcDjPaTeamReal/?ref=hl
1回目 2015/12/16 『スノーボードの魅力』
2回目 2016/1/6 『様々な出会いに感謝』
3回目 2016/1/20 『素晴らしき出会いの続き』
4回目 2016/2/3 『スノーボードが与えてくれた生き方』

『素晴らしき出会いの続き』

前回に続き、スノーボードが導いてくれた素晴らしき出会いを振り返ります。
個人的な思い出話しになりますが、お付き合いくださいね。当時の写真と共に、。。

23年前のニュージランド生活の思い出

アメリカ Mt Hoodの思い出

大部ベーちゃんに誘われて、岩手県夏油高原に籠ることになった3シーズン目。
スキー場の契約ライダーだった三上晃司さんの滑りのスタイリッシュさ、
スピード、スムーズさに驚愕したり、多くのローカルライダーと出会った。
圷康子あっくんとも、この岩手夏油で出会った。いろんな思い出あるよな~。
最近は、スケートボードスクールの大人気の先生あっくん。
詳しくはコチラをH.L.N.A SKATE PARK
岩手の老舗ショップ、Bricksさんにもお世話になったな~。
昨年5月に閉店されてようだが多くのライダーを輩出してきた。
bricks familyの岩渕麗楽さんの活躍に期待したいね。
近隣の山にもよく滑りに行ったな。
八幡平リゾート、佐久間洋くんがプロデュースしていたパイプ。
フェザンカップや主要な大会が開催されていた。
ナイターのカチカチパイプは思い出すだけでも怖いわ~。
そんなコンクリートの様なパイプで本間兄弟(勝則.義雄)は一際目立っていた。
滑りだけでなく、全てにコダワリがあってカッコ良い。
今も変わってないな~本間アニのお店SLUCKに行ってみたい。
高校生ライダーが綺麗にエアーターンをしているな~と見ていたら、
カチカチパイプで全てスイッチエアーだったという、それが、今は世界の布施忠さん。
最近は映像でしか彼の滑りを見ていないけど、また生で見てみたいものだ。
神戸発、東京で村上崇(当時はRIDE)をピックアップしてから蔵王~八幡平トリップというのを思い出す。
八幡平スキー場の雪庇やオープンバーンは今でも忘れられない。
キャンピングカーでゆっくりと巡ってみたいものだ。
その後、多くの大会に出場。
地区大会だけで5日間開催という様なHP大会大人気時代に、西日本地区から全日本選手権へ2度出場した。
地区大会予選2位決勝10位とか、学生大会3位とか。鳴かず飛ばずの成績。
プロ戦にも推薦枠で出場したが、サクッと予選落ち、。
そんなレベルで自己満足していたんだろう。
そんな頃に所属していたUP-Sportsで働かせて頂くことに。
そこで、いろんな事を教えてくれたのが、当時の上司、冨田さん
何かで恩返しせねば。ASRにも連れて行ってもらった。
ランディペニントンさんがフレッチャーファミリーに合わせてくれたり、。
なんて贅沢な事だったんだと思い返すたびに思う。
もちろん、山崎勇祐社長への恩も一生忘れない。
旗艦店でもあるギャレ大阪店の店長も経験させて頂いた。
在庫を持つ商売の怖さや面白さ、スタッフの教育などなど、
20代後半の若造には勿体無い経験ばかりであった。
スノーボードウェアブランド アーネストや、MT.BAKER SNOWBOARD SHOP
アイテムを卸してもらっていたトリックスターの坂林さんからも
この店長時代に多くの事を学ばせて頂いた。
トリックスターといえば、杉田マン。
ベルカント(浅貝ゲレンデ)の大会で初めて会ったのだが、
YAKIMAのルーフボックスにゴールデンレトリバーを連れて、ロン毛で、パイプがやたら上手くて、、。
今も変わらない杉田マンの激しぶスタイルをMCさせてもらうのが毎年の楽しみだ。
当時チームUPのメンバーでインラインスケートの世界チャンプ 川崎鮎美さんも練習していた、
大阪鶴見区ブロッサムにあったUP-Skate-Park。
年間シリーズ戦の企画運営をする事に。
そこで、先述のSS6556塩谷さんにジャッジを4名(じゃんけんに負けたらMC)手配頂くことに。
ある日、どうしても3人しか集まらないから、手が空いているし、アリーがMCしたらええやん!ということに。
これが、今やライフワークとなったスポーツMCの始まりになるとは思ってもみなかった。
そもそもジャンケンに負けたらMCをするという、遠慮したい役割に適任がいたということで、
煽てられ、調子に乗り、MC楽しいやん、これ俺にあってる!と勘違い、
それ以降、自身が企画運営する大会でMCをすることに。つづく。。
後一話、お付き合い頂ければ幸いデス。

snow columnMC Alee(アリー)有賀功造
1回目 2015/12/16 『スノーボードの魅力』
2回目 2016/1/6 『様々な出会いに感謝』
3回目 2016/1/20 『素晴らしき出会いの続き』
4回目 2016/2/3 『スノーボードが与えてくれた生き方』
 

 
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