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 COLUMN
surf columnSURF COLUMN 2008/6/18  
堀 直也(ほり なおや)
1977年生まれ31歳。神奈川県横須賀市で生まれ、現在はエコサーファーの代表として藤沢市辻堂に在住。カッコよいサーファーになりたいがために、自分たちの遊び場である海を清掃する活動を初め、現在7年目になる。しかし、まだまだ海はキレイにはならない・・・。
エコサーファーWEBサイト http://www.eco-surf.com
1回目 2008/5/21 『ださいサーファーが多過ぎる』
2回目 2008/6/4 『アメリカ被れの日本人』
3回目 2008/6/18 『アメリカの日本からの脱出』
4回目 2008/7/2 『本物のサーファー』

『アメリカの日本からの脱出』

アメリカの中の小さな日本というコミュニティで生活をすること、早2ヶ月。そろそろ1セメスターが終了する頃に、僕はある日本人のサーファーと出会っていた。彼は、アメリカに27歳の頃より滞在していて、アメリカで立派に仕事をしていた。いわゆる外資系の仕事を・・・。ネットで知り合ったその方に自分の事情を説明して、サーフボードを譲って欲しいということ、休日の日にサーフィンに一緒に連れて行ってもらいたいということ・・・。そんな誘いをその準さんという方は快く引き受けてくれた。そこから、僕のアメリカでのサーフィンライフが始まった。

自分よりも8つくらい年上の準さんは、既に5年以上アメリカに滞在しており、奥さんも一緒であった。バリバリのサーファーで、休みの日には必ず僕をピックアップしてマリブ、カウンティーライン、ハンティントン、時にはメキシコなどにも連れて行ってくれた。そして、日本のこと、アメリカのことなど色々と話を交わし、自分がここに来たことなども話した。そして、僕は自分に鞭を打って、今の環境から脱出しようと考えた。

1セメスターが終わった8月頃に、僕は日本人が誰もいないであろうサンフランシスコ郊外のロウワーレイクという小さな町にいた。そう、学生なのに学生を辞めた。そこには老夫婦と猫が暮らす生活が待っていた。メールで出会った彼らの家のファームボランティアとして僕はそこで1ヶ月お世話になった。ここへ来たのは、とにかくアメリカの日本から脱出したかったから。そして、僕は来る日も来る日もそこの老夫婦と一緒に英語を交わし、英語を学び、ファーミングを学んだ。彼ら老夫婦からは、毎日宿題が課せられた。その日その日で出会った始めての単語をとにかく毎日毎日メモ帳に記し、今度はその単語を入れた文章をいくつも作った。そして、彼らに添削してもらった。

そんな日々の中で、僕の英語力はたったの1ヶ月にも関わらず、ぐんぐんと伸びていった。それが自分でも分かるほどであった。そして、そんな中で生まれたアイデアが、自分の経験をホームページに記し、そして日本の皆に見てもらうことであった。で、考えた結果、屋号を『エコサーファー』と名づけた。それが、2002年11月である。

そして、僕は2002年11月半ばにカリフォルニアのオークランドからハワイのホノルル経由でハワイ島ヒロ空港へ降り立った。

日本を出て、既に半年が経過していた。しかし、僕はまだローカルサーファーと共にサーフィンをしていなかった。
しかし、サーフィンの聖地であるハワイへ僕はようやく遠回りをしたかもしれないけど、辿り付いた。

そして、ヒッチハイクを2時間するも捕まらず、あえなくタクシーに乗り、マックへ行った。そこで1ドルのチキンサンドを3つ購入し、次のホストの場所へ急いだ。時間は既に22時を回っていた。



surf column堀 直也(ほり なおや)
1回目 2008/5/21 『ださいサーファーが多過ぎる』
2回目 2008/6/4 『アメリカ被れの日本人』
3回目 2008/6/18 『アメリカの日本からの脱出』
4回目 2008/7/2 『本物のサーファー』
 
 
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