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 COLUMN
surf columnSURF COLUMN 2008/9/17  
中村 新吾
2月23日生(皇太子と同じ誕生日)
株式会社CHP代表
千葉一宮にてCHP・SUNWAVE・S007などの自社ブランドサーフボードを製造するサーフボードファクトリーと直営店のCHP本店を運営。
1回目 2008/9/17 『SURFING IS MY LIFE WORK』
2回目 2008/9/24 『SURFING IS MY LIFE WORK その2』
3回目 2008/10/8 『SURFING IS MY LIFE WORK その3』
4回目 2008/10/22 『SURFING IS MY LIFE WORK その4』

『SURFING IS MY LIFE WORK その3』

高校進学を考える時期になった頃、再び私をサーフィン休止状態に導いたのは音楽でした。
中学生生活も後半を迎える頃には、
ギター片手にフォークソングのシンガーソングライターになりきったようなファッションに身を包み、
週末にはアマチュアバンドのライブや貸しスタジオで練習に励んでいました。
バンド活動に熱中しているうちに高校受験を迎え、なんとか公立高校へ滑り込みで入学を果たしました。
高校生になってからも音楽活動の熱は冷めやらず続けていきましたが、
あまりにもインドアな環境もどうかと疑問を持ち、
この頃からまたサーフィン活動を復活して、チョロチョロやっていました。
ちょうどその頃、第二次のスケートボードブームが押し寄せ、サーフィンに行かないで
渋谷の東急文化会館にオープンした『カルフォルニアスケートボードパーク』に
千葉の田舎から出向いて行き、都会の波に乗り、遊んでいました。
ちなみにこの渋谷のスケートパークのチーム(チーマーではありません)は、
その頃日本のトップレベルの選ばれたスケーターだけが所属していて、
とてもカッコイイ存在で、私はそのチームには入れませんでした。
(弟はチームに所属していた)
今にして思えば高校生活は音楽活動・スケートボード・チョロっとサーフィンと、
とても多忙に遊んでいたなぁ…と実感します。
もちろん遊びだけではありません。
色々なアルバイトをしたのもこの頃でした。
サーフボードのリペアー、ビルの掃除、某有名モデル事務所に所属し、モデルの仕事もやりました。
勉強は全くといっていいほどしませんでしたが…
そんな高校生活を送っていれば
大学へ進学なんて事は全く無理なことで、
高校3年の進路相談で全く話にならないので、
適当に『アメリカ留学かなぁ…』って答えたら、
『じゃそうしろ!』で決定。
アルバイトで貯めたお金と母が用意してくれてた学資保険のお金で渡米!
適当に進路を決めたのが幸か不幸か…アメリカ留学ライフは地獄のスタートでした。
当時私の英語力は英検3級にも満たないほどだったので、
授業を受けても全て英語(当たり前だけど)でチンプンカンプン、
先生やクラスメイトともコミュニケーションがとれずに引きこもりそうになりました。
これじゃいかんと思い、日本ではありえなかったような勢いで勉強し始めました。
毎日家に帰って来てから約4時間は勉強し、
そんな日々が約2ヶ月すぎ、精神的にも生活面でも疲れ果てていたそんな時、
日本人のクラスメイトがサーフィンをやっていて、彼がサーフィンに誘ってくれました。
アメリカでのサーフィンライフのスタートです。
このときのサーフィンは自分にとって、
週5日の学校と帰宅してからの勉強とのON-OFFのスイッチのようでした。
今まで日本でやってきたサーフィンとは違う物を感じていきました。
自分を取り囲む環境や流れではない、自分なりのサーフィンライフを…

つづく

surf column中村 新吾
1回目 2008/9/17 『SURFING IS MY LIFE WORK』
2回目 2008/9/24 『SURFING IS MY LIFE WORK その2』
3回目 2008/10/8 『SURFING IS MY LIFE WORK その3』
4回目 2008/10/22 『SURFING IS MY LIFE WORK その4』
 
 
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