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 COLUMN
surf columnSURF COLUMN 2011/6/15  
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越後 将平
1976年10月31日 宮城県出身 2000年にプロ転向
1回目

2011/5/18

『サーフショップ』
2回目 2011/6/1 『父親と私の育った環境』
3回目 2011/6/15 『影響』
4回目 2011/7/6 『繋がり』

『影響』

毎年夏休みの終わりは、父とNSA全日本へ行くのが小学生の私の中で恒例の行事になっていた。
私も小学校6年生になり
そろそろタンデムクラスで私の体を持ち上げるのが父も辛そうになるころだった。
毎年会場にはいたがサーフィンの大会が何かは?だったが
その年だけは
当時の最年少クラスのボーイズクラスに興味が湧いた。
そこでは
何のクラスがどこで
何を進行しているかは私は把握できずに海を漠然とみていた。

ある日の夜の表彰式に父と一緒に出かけた。
そこでまさに興味のあったボーイズクラスの表彰が行われた。
公園のような場所で
そこにいる人々が注目している
表彰台の上にたっている人が輝いて見えた
じっと注目していると
なんと東北の選手が優勝した瞬間だった。
見るからに自分より年上だったが
表彰式の壇上で落ち着いた素振りと勝利した喜びが私にも伝わった。
それまでサーフィンは大人のスポーツで
子供には寒さの厳しい東北ではできないと思っていたから
単純に
なんだ東北の子供もサーフィンできるじゃん♪
自分には新たな発見だった。

夏の恒例行事だった旅も終わり
地元へ戻ってから自分でサーフィンがしたいと両親に言ってみた。
道具も父が揃えてくれ
数回だが仙台新港へ学校帰りに母に連れていってもらった。

ある日
父がサーフィンライフを家に持って帰ってきた。
仙台新港の特集が組まれていたの同時に全日本選手権の特集もその号にはあった
早速ボーイズで優勝したのが誰か知りたくなり写真と名前を探した
発見した。
その人の名前は
現在も日本のトッププロとして活躍している
渡辺広樹プロでした。
今となれば同じチームとなるほどの縁があったようだ。
単純に彼に憧れ上手くなりたいという気持ちが芽生えた
しかしそう簡単にいかないのが
海.....
サーフィンを始めたもの
自分1人ではテイクオフ、パドリングもままならない
しかし
広い海の中で
自分の世界で時間を過ごせる事に楽しさを覚えた。
当時学校で流行った団体競技のサッカーの世界から
自然と自分が向き合う海へ興味が移った

季節も夏から秋
あっという間に冬へ
週末に海へ行けるか行けないかといった状況のなか
1、2時間も海へ入ると体力のない子供だった自分に
さらなる難関がでた
寒さとウェットスーツの問題だった。
今のように
柔らかく
暖かい素材など皆無の時代
寒さに震え
自力で当時の硬いウェットスーツの着脱ができずにだんだんと辛いことが増え始めた。
一体どれだけやれば上手くなれるか考え始め
子供ながらに情報が欲しくなった。

当時仙台にはプロサーファーはいない
全日本選手権やローカルコンテストで勝つ人がとてもかっこよく
まっさきに影響を受けた
太田正俊さん
村上英令さん
加藤孝紀さんといった宮城を代表するサーファーたちである
彼らを発見すると遠くから観察し
真似をしようと思うが全くできない
そんな繰り返しが続いた
そして
すこしづつであるが先輩との旅の機会が増えた。
家族と行く旅とは違い
先輩達との旅は自分の知らない音楽だったり、食べ物、飲み物だったりと
いろいろな物、世界が少しづ見え始めサーフトリップというものがとても魅力的な行動に感じた。
サーフィンを通じて世代を超えそれぞれの目的へ突き進む事ができる世界だと感じはじめた。
もっと遠くへ
私の興味は宮城から外へと広がった

越後将平

surf column越後 将平
1回目

2011/5/18

『サーフショップ』
2回目 2011/6/1 『父親と私の育った環境』
3回目 2011/6/15 『影響』
4回目 2011/7/6 『繋がり』
 
 
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