interstyle magazine
 COLUMN
surf columnSURF COLUMN 2012/8/29  
平野哲也
1971/9/14生まれ  出身地:千葉県富津市  オームブレイク:富津 下洲ビーチ(シタズ)
スポンサー:RVCA  rlm rubber  DVS  DAKINE  FCS  Surfin Style
自身プロデュースブランド:insideout 『サーフショップ』
CODE surfboard 『サーフボード』
SHOWCASE『アーティストブランド』
BLOG:http://ameblo.jp/kob071/   
insideout select:http://kob071.shop-pro.jp/
1回目 2012/8/29 Surfing is my life『過去』『現在』『未来』
2回目 2012/9/4 Surfing is my life『転機』
3回目 2012/9/19 Surfing is my life『進化』
4回目 2012/10/3 Surfing is my life『未来』

Surfing is my life『過去』『現在』『未来』

今回、平野哲也が
サーフィンに対しての自分のサーフィンライフ+その時代に使用してきたサーフボードについて
コラムを書こうと思います。
『過去』については、プロフィールのような形になってしまいますが。。。。
16歳でサーフィンに出会いました。
動機は至って単純でモテそうだから!
これでした。
結果は…(笑)
自分の通っていた高校には、サーフィン部は存在していませんでしたが、
サーフィンをやっている生徒がかなり居ました。
今ではファンボードや長めで幅・厚みのあるビギナーボードがありますが、
当時はビギナーボードや体験スクールなどというものは無い時代でした。
サーフショップにバイトで貯めたお金で中古サーフボードを購入し、
同級生とゴールデンウィークの御宿へ行きましたが見事玉砕!!!!
パドルをしても不安定で、テイクオフも膝立ち止まりで
朝から夕方まで練習をして、なんとなくテイクオフできたのが夕方でした。
あの時の感覚は、今でも忘れていません。
高校を卒業して、専門学校に通いながらバイトをして初めてサーフボードをオーダーしました。
出来たときは嬉しくてサーフボードを抱いて寝ました。
ある程度浮力があって比較的テイクオフの速いボードでした。
技術があれば出来るのでしょうが、
技術のない自分はこのボードでオフザリップも出来ると勘違いをしていました。
この頃からはコンテストに出場したり、
級審査を受験したりと無我夢中でサーフィンばかりしていました。
モテるために始めたのですが、
それ以上にサーフィンの 魅力にハマってしまいました。
この頃のサーフィンライフは『楽しい』の一言でした。
オールラウンドボードを乗るようになり、
コンテストでもBクラスで入賞できるぐらいになった頃は
若い頃特有のノリだけでなんでもイケると勘違いしていました。
サーフィン以外の誘惑も多く、脇道にそれてサーフィンをしない時期もありました。
その時でも友達や先輩達に色々なことを教えてもらい、
様々な視野を持つようになり大好きなサーフィン生かせることを知りました。
またサーフィンライフに戻り、
自分に合うサーフボードを模索している頃からTRIPに行きだしました。
オーストラリア、カリフォルニアなどに行き、自分の世界観も変わりましたし、
これからサーフトリップは毎年どこかに行くようになりました。
コンテストに出場し、サーフトリップに行くことを数年繰り返した後、
自分は仲間そして高校生の頃から通っていたサーフショップや先輩たちのおかげで
プロサーファーになることができました。
プロサーファーになり、
自分のサーフショップを持って、
様々なサーフボードにも乗りましたが、
まだ自分やお客様に合うサーフボードを日々模索しています。
サーフボードの探究心はレベルを問わず、常に続いていくものだと思います。

surf column平野哲也
1回目 2012/8/29 Surfing is my life『過去』『現在』『未来』
2回目 2012/9/4 Surfing is my life『転機』
3回目 2012/9/19 Surfing is my life『進化』
4回目 2012/10/3 Surfing is my life『未来』
 
 
Copy right © INTERSTYLE Co.,Ltd All Rights Reserved.