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 COLUMN
skate columnSKATE COLUMN 2008/3/19  
生谷和久
1961年 大阪府堺市出身 
Designer、Writer&Skateboarder(Team Early 60's)
1回目 2008/3/5 『Time Flies Like An Arrow』
2回目 2008/3/19 『スケートライフ第一幕/1976~1979』
3回目 2008/4/2 『スケートライフ第ニ幕/1987~1988』
4回目 2008/4/16 『スケートライフ第三幕/1999~ ? 』

『スケートライフ第一幕/1976~1979』

<開幕>
出会いは中学2年から3年にかけての春休み。
毎月買っていたファッション誌『CHECKMATE』をその日も本屋から帰ってきて、ページをめくっていたら思わず見入ってしまった。
それがHAWAII特集の中で紹介されていたスケートボード。
どこまでも延々と続いている水のない排水溝、何人もの少年たちがその両脇の30度くらいのバンクを滑り降りている。初めて見る光景、そこにはハワイの青い空と太陽、永遠に続くかのような夏休みが。
完全にヤラレた勢いでとりあえず近所のスポーツ店へ行くと、その当時にしかも田舎のこんな場所、学校の体操服を扱ってそうな店でなんとたまたま売っているという偶然にものっかりスケートボードを即買いしました。今でこそスケートボードはスケートボード。たまにスケボーなんて呼ばれるとムカっとするけれど(笑)。でもその頃はサーフローラー、ローラーサーフィンなど呼ばれ方もいろいろ、それほど一般的に知られていないただのおもちゃだったから。最初は家の前の坂道でダウンヒルばっかり。そのうちスラローム、ニュークリスティー、コンテンポラリーなんかのターン系、ついでノーズウイリーやチクタクで坂を登り、ベアフットジャンプや逆立ちができるようにまでなった。この頃はいつも裸足が当たり前、真夏のアスファルトはとにかく熱かったぁ~。ボードから降りたとたんに踊ってたから(笑)。
<ポパイ>
ちょうどスケートを初めてしばらくしたら雑誌『ポパイ』が創刊された。カリフォルニア特集のこの号ではスケートボードも紹介して一般の人たちとの距離を一気に縮めた。毎号アメカジやライフスタイルを紹介する中に『Skateboarder Magazine』を見始めた頃からとにかく欲しくて欲しくてたまらなかったスケートシューズの元祖『VANS』も載っていた。その後やっと買った初めての『VANS』はホントに大切に大切に履きましたね。値段もあの頃で¥7800くらいしたから、擦り減ってきたらシュ-グ-でリペアを繰り返したりして。赤と紺のツートーンの今ではERAと呼ばれるモデル、かかとに入っていた『OFF THE WALL』のロゴを見てみんなオフザウォールって呼んでた。ちゃんとバンズって呼んだのはずいぶん経ってから。で、ポパイには毎号必ず人気のスケートボードコーナーみたいのがあっていつも『AKIさん』が登場していた。ロングヘア-に赤のノーコンのヘルメット、ケイティンのサーフトランクス姿が印象的でした。今でもたまに一緒に滑ったりするけれどず~っと私のスケートヒーローですね。
<第1回西日本スケートボードコンテスト>
そのうち、よく通うようになった大阪ミナミのスポタカで一枚のチラシがきっかけで出場した初コンテスト&初優勝。結果も嬉しかったけれどいろいろな出会いはまだ14才だった子供には十分すぎるぐらいの貴重な経験でした。ジャッジにはハワイからサーファーのジェリー・ロペス、ローリー・ラッセル、リノ・アべリラそれになんとデビルマン西岡(NISI)氏がロングヘアーで上半身裸、ヘッドスタンド(三点倒立からの両手離し)をやってました。そうそう、たまたまコンテスト前の練習で知り合ったアロハシャツにおかっぱヘア-のお兄さん。それがなんと松本栄吉さんとの最初の出会いでした。
<スポーツタカハシ>
大阪でいち早くサーフィン、スケートボードを大々的に売り出したのが『スポーツタカハシ(スポタカ)』だった。コンテスト後にメンズクラス優勝の佐竹さんとジュニア優勝の私とがテストライダーとなり弟とあっちこっちへデモにも行ったりしました。店の前、通行人がせわしなく行き交う橋の上で弟とよくスピンをしたのも懐かしい思い出。スケートボード売り場に山のように積まれていたあの『Z-flexのジェイ・アダムスモデル』の大量在庫、もし今も残していればかなりのお宝間違いなしでしょ(笑)。
<Skateboarder Magazine>
雑誌、ビデオ、ネットとなんでもある今からは考えられないその当時、唯一の情報源。とにかくスケーターみんなが掲載写真のスケーターのファッション、ギア、トリックまで質の悪い紙面を穴があくほど見てた。スケーター同士で何号の何ページ目の誰とかっていうだけで話しが通じたぐらい。で、『Skateboarder Magazine』の人気NO.1は『トニー・アルバ』。ソフト帽をかぶり、ALVAロゴのデッキを持ち、彼のスタイルを真似たスケーターが全国のあちらこちらに。
<閉幕>
あんなに寝ても覚めてもスケートボードがすべてだった生活は360°スピン、ウオーキング、ハンドスタンドとキックフリップのバリエーションなどトリックもハイレベルになったあたりがピーク。1978年の全国大会を境に達成感でもなく限界でもなくうそのように急に熱が冷めていき同時に第一次スケートボードブームも急下降。なんとなくまわりの影響でサーフィンをかじり、音楽はウエストコーストサウンドにとって変わってイギリスから『ニューウエーブ』がどっと押し寄せてきた。テクノカットのヘアースタイル、モノトーンファッションが流行ったディスコではスペシャルズ、B-52、YMOなんかが鳴り響いていた。私自身、夜にDJをやりながら昼間は子供の頃から好きだった服の世界、ファッションスクールに通いだしたのもちょうどこの頃から。そう、スケートボードは完全にどっかに追いやられて何もかもが80年代を前に変わろうとしていたんだ . . . 。
次回『スケートライフ第ニ幕/1987~1988』へつづく

スケートマニア http://www.e-o-s.net/sm/0.html


skate column生谷和久
1回目 2008/3/5 『Time Flies Like An Arrow』
2回目 2008/3/19 『スケートライフ第一幕/1976~1979』
3回目 2008/4/2 『スケートライフ第ニ幕/1987~1988』
4回目 2008/4/16 『スケートライフ第三幕/1999~ ? 』
 
 
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