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 COLUMN
skate columnSKATE COLUMN 2008/4/2  
生谷和久
1961年 大阪府堺市出身 
Designer、Writer&Skateboarder(Team Early 60's)
1回目 2008/3/5 『Time Flies Like An Arrow』
2回目 2008/3/19 『スケートライフ第一幕/1976~1979』
3回目 2008/4/2 『スケートライフ第ニ幕/1987~1988』
4回目 2008/4/16 『スケートライフ第三幕/1999~ ? 』

『スケートライフ第ニ幕/1987~1988』

<開幕>
スケートライフ第一幕が終ってからはファッション、DJにハマりながらもスケートとは無縁の7年後、上京して一年ほど西麻布に住み、その後三軒茶屋に移り住んだ。ちょうどその頃スケートを再開させた大阪の弟からいろいろ情報が入ってきた。宅配で送ってくれたVISIONやNSAのコンテストシリーズ、BONESブリゲードなどのスケートビデオ。70年代、スケートボードはスケート雑誌の中でしか見る事ができなかったから衝撃的でしたね。だって動きが観れるんだから(笑)、ビデオだから当たり前なんだけど。
当時、家にビデオデッキ持ってる友達なんてまわりにいなかった、ていうか普及してなかったから。
70年代は『SkateBoarder Magazine』を穴があくほど見たけれど80年代スケート再開のスタートはビデオを擦り切れるほど観ることからでした。 で、ビデオからは10ftエアーのHosoi、最強軍団BONES BRIGADE、音楽とファッションがスケートに絡みあってスラッシュメタルの波が. . . とにかく何もかも新しく、刺激的、何と言ってもオーリーを使ったストリートスケーティングが第一次ブームにはまったくなかったものだった。そう、バーティカルでAllan Gelfandが発明したオーリーがストリートの基本そのものになっていてとにかくカッコよかったなあ、スケートボードをとりまくすべてが。
<ロサンゼルスクラブ(LAC)>
近所をブラブラしていたら三軒茶屋駅前ビルの地下で何やら工事をしていて、階段途中の貼り紙を見てビックリ!何と当時メチャクチャ流行ってたプールバーにスケートパークが併設されてオープン。
おまけにあのAKIさんが関わっているとは。
もう、これは即行で工事現場まで降りてって店長呼んでAKIさんに電話してってぐらい電光石火の如く、いきなり働き始めましたね。まる8年くらいスケートまったくやってなかったのに、縁とは恐ろしい(笑)。
とにかく渋谷から近くて、ビリヤードがあって、お酒が飲めて、スケートもできる、しかも朝5時迄やってるんだから話題になるのも当然。オープンしてからはBONES BRIGADEの深夜の来襲、HosoiらSANTA CRUZチームの超満員御礼デモなど賑やかでしたね。スケート関連以外でもとにかくいろんな人間が毎晩出入りしていて楽しかった。スマップの知る人ぞ知るデビュー前スケートボードレッスン、なんとジャニーズの社長まで見に来た事があったからね。一度だけなぜかAVの村西監督もどう興味があったんだかスケートボードを見に来たし、近所に住んでいたDJ Hondaもビリヤードをしにきたり、藤原ヒロシくんはよく仲間とスケートしに来てましたね。今じゃ80年代レジェンドとなった川村諭、江川芳文、長嶋亘のLACローカル三人と毎日滑るのが楽しかった。ほんと毎日!しかも一晩中!
<閉幕>
スケートライフ第ニ幕はとにかくロサンゼルスクラブでの出来事がすべて。たった366日間のオープンだったけれど中身がものすごく濃い~く充実していました。スケートパーク最終日は朝迄のドンチャン騒ぎであっけなく幕を閉じ、その後はお店のクローズで行き場を失ったローカルたちが次ぎの行き先を求めてみんなバラバラになっていった。私自身もまたもやスケートへの興味が薄れファッションへの道へと足を踏み入れていったのですが、まさか今度はここから11年間ものブランクになるとは. . . 。


スケートマニア http://www.e-o-s.net/sm/0.html


skate column生谷和久
1回目 2008/3/5 『Time Flies Like An Arrow』
2回目 2008/3/19 『スケートライフ第一幕/1976~1979』
3回目 2008/4/2 『スケートライフ第ニ幕/1987~1988』
4回目 2008/4/16 『スケートライフ第三幕/1999~ ? 』
 
 
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