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 COLUMN
skate columnSKATE COLUMN 2009/2/16  
伊藤慎一(イトシン)
1981年生まれの現在28歳。茨城県出身の東京在住。
2002年度AJSAランキングアマ1位に輝き、2004年度 中国全国大会、銅メダル 、中国北京大会、銀メダルを獲得、2007年にタバコ、セブンスターのイメージキャラクターに選ばれ、2008年TRANSWORLD SKATEBOARDING JAPANのBEST STREET SKATER を受賞! 同時に自ら立ち上げたチームのBEST TEAMも受賞。
出演 VIDEO&DVD(パートを持った作品)
2004年DVD DAZE/DAYS 2005年DVD CATCH ME
2006年DVD BARCELOGY 2007年DVD JAG
2008年DVD Endless Question 2009年DVD One Yearr
1回目 2009/1/21 『スポンサー』
2回目 2009/2/4 『大会』
3回目 2009/2/12 『雑誌』
4回目 2009/2/16 『転機』

『転機』


どもども、今回で最後のコラムを担当するイトシンです。
インタースタイル前日、この心境どうでしょう。
良く分りませんが、色々な会社に顔をだして、新しい自分を探してみたいと思います。
そして、日々成長です。

俺は色々な人生経験をし、色々な分かれ道でどちらに曲がるべきか色々悩んだ結果ここに居ます。
良い方向に行っているのか行ってないのか分りませんが、ある程度今の環境に満足しています。
今後も色々な壁や分かれ道にぶつかると思います。
ぶつかるのが自然だと思っています。
その際の、勇気のある決断が必要です。
君も沢山の分かれ道に会うと思います。
その時は大変だと思いますが、苦労する方を進んでください。
その方が結果いい方にいくと思います。
でも、引き際も重要だと思っています。

そこで、俺の重要だった分かれ道を2つ紹介しようと思います。
一つは、本気でスケートボードの世界で頑張るか、趣味で楽しくスケートするかの分かれ道でした。
18歳から親と喧嘩して家を飛び出し、一人で生活を始めた俺は、親とは連絡も取らず、家にも帰らず、
一人でハングリーな生活することを決意しました。
親の引いたレールの上を歩くのが嫌だったのです。
そして、スケートを続けていました。
なので、働く時間も少なく、収入は無いに等しくゲットーな生き方をしていたので、
悪さもしますし、警察にもお世話になりました。
20歳になって成人式で色々な人に会い、人並みの生活、暮らしに憧れました。
友達と週末も飲みに行きたかったです。
そこの、狭間で気持ちがスケートから離れつつあり、
でも、スケートが好きなので、21歳の時これで失敗したらスケートを趣味として、
落ち着き安定のある一般人の生活をしてみようと思い自分と掛けをしてみました。
それは、AJSA(大会)です。
AJSAで年間10位に入ればプロになれるので、
プロになれたら本気でスケートを頑張ってお金を稼いでやると決意しました。
努力した結果は1位でAJSA公認プロになりスケートを人生とすると決意をしました。
が、結局お金が無いのに代わりは無かったのですが…
二つ目の俺にとっての重要な分かれ道、
それは、アメリカで挑戦するか、スケートの会社を作って日本を変えるか、が分かれ道でした。
それは、24歳の時でした。
東京で努力した結果、雑誌とビデオのコネクションをガッチリ作り、茨城からでも発信出来る環境を作りました。
ですが、雑誌に出てもビデオに出てもお金には繋がらないので、日本のスケートボード業界に愛想をつかし、
そして、親とも仲直りし実家に帰り、夢の為にお金を貯めることを決めました。
それは、アメリカで挑戦して日本にもヤベー奴が居ることを知らせて世界を動かそうと思ったからです。
俺は、近所の工場に派遣で入社し、朝から晩まで働きました。
勿論仕事が終わってからは毎日スケートしました。
その為、仕事中は眠くダルク本当にきつかった思い出だけが残っています。
そんな生活を1年続け、お金をこつこつ貯めました。
ですが、アジアやバルセロナ、NYにビデオ撮影で行くこともあり、
茨城のショップSceneの協力と自腹で撮影に参加するために、貯蓄は減っていきます。
でも、夢の為まだまだ働きました。

そんな時、福島に撮影で行った帰りに、
俺と、荒畑潤一、朝田コウジ(フルマー)、森川司(フィルマー)の4人で、
その時の日本のスケート業界の話をしました。
愚痴なんか言っても何も変わらない事は分っていましたので、
誰も行動に移さないなら俺たちが時代を変えるしかない、
利用されるのはごめんだ会社を作ろうと話しました。
ですが、未来の見えない話で俺は実際怖かったです。
まだ、アメリカでの挑戦も夢見ていましたから。
そして、その為には投資金が必要でした。
しかも一人3桁です。
完全にアメリカ挑戦は無理になります。
俺は毎日悩みました。
アメリカで本当に成功するのだろうか?
言葉が話せないのにバカなこと夢見ているのではないか?
アメリカ行くだけ時間の無駄なのではないだろうか?とかとか、とりあえずネガティブになりました。
でも、アメリカで成功したらなぁ…とかも考えていました。
逆に、会社作って成功しなかったら金と時間の無駄だし、
バツイチになるのもなぁ…とか、
アメリカいっときゃ良かったとか後悔しそうだし、
でも、フィルマー2人一緒なら表現能力は豊富出しなぁ…とか色々考えました。
そして、答えは1年ぐらい出ないまま流れに身を任せてみました。
その間に、プロジェクトXと名前を付けた、ミーティングを月に1回開き、
どうしたら業界を変えられるか、
どうしたら、勝ち残って行けるか、沢山話しました。
会社登記の問題とか社会的に行わなければならない事も沢山有りました。
そして、特にコウジのやる気に圧倒されてアメリカ挑戦は諦め、会社を作ることを決めたのです。
きっと俺の選択は間違っていなかったと思います。
なぜなら、アメリカに行き成功したとしても、日本が恋しくて移住することまでは考えなかったと思うし、
会社を作って本気で戦い、ヤバイ映像と写真を沢山撮ることで、
他のデッキブランドと差を付け、日本のレベルを底上げし、
その結果は自分たちに帰ってくるし、
その映像が沢山撮れたお陰で、
逆に日本からアメリカに発信できて、アメリカに行かなくても、
世界に俺たちの存在を分らせアメリカからサポートゲットしたし、
着々と夢を叶えられる環境になっているからです。

そんなこんなで、会社を設立することに進んだのでした。
次の夢はチームでアメリカに行き俺たちの存在を生で表現して、日本人の底力を食らわせたいです。
チームでベリックスに行けるかなぁ☆
以上、まだまだ色々話したいけど、何処かでお会いしましょう☆
どうしてスケートボーダーってこんなにカッコいいのだろう??
ここで次に紹介する人はIFOと名のデッキブランドを作り、
一緒に日本を盛り上げいくであろう同士を紹介します。
中島壮一郎です。

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Blog http://blog.livedoor.jp/scenerider/archives/cat_50035173.html


skate column伊藤慎一(イトシン)
1回目 2009/1/21 『スポンサー』
2回目 2009/2/4 『大会』
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4回目 2009/2/16 『転機』
 
 
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