interstyle magazine
 COLUMN
skate columnSKATE COLUMN 2010/4/21  
FOS
本名はマーク・フォスター
出身はイギリスの北部で、今はロンドンが生活の拠点。
Heroin SkateboardsとLandscape Skateboardsの運営と、
Altamont Clothingのアート・ディレクションを手がける。
1回目 2010/4/21 『Lost in Transition』
2回目 2010/5/19 『CREATING A SCENE -シーンの創造-』
3回目 2010/6/2 『6枚のスケッチ』
4回目 2010/7/7 『外国から見た日本』

『外国から見た日本』

最後のコラムになりますが、このような機会を与えてくれたINTERSTYLEに感謝します。
これまで3回のコラム、
常に刺激を与え続けてきてくれた日本のスケート・シーンに何かを還元できればという気持で書いてみました。
日本で生活していない第三者の視点、つまりは僕の視点から日本のスケート界について触れることで、
読者の皆さんにとって何らかの刺激になってくれれば何よりです。
コラムの翻訳を引き受けてくれたマナブ、ありがとう。
Osaka Daggersがリアルで在るコトに、そして、DALがDALで在るコトに感謝!

日本のスケート・シーンについて、
僕の友人でもあり、アメリカのスケート業界ではかなりトップの座に位置する業界人と話をしていた時だ。
日本の(Heroin)ディストリビューターが、
「今年の売れ行きが良くなくてゴメンね。
今はスケートが全然盛り上がってなくて、世間ではスケートよりもMP3プレーヤーが人気だよ」と、
僕に話してくれたコトをその友人に伝えた。
当時は、こんな意見を聞いて苛立ちを感じざるえなかったものの、
同時に日本の状況をストレートに伝えてくれたコトをありがたくも思った。
2001年に日本を訪れた時に体感したスケート・ブームと言えば、それは凄まじかった。
火付け役がBamだったのか、Tony Hawk’s Pro Skaterのゲームだったのかは分からないけど、
とにかくデッキは売れた。
お陰で、立ち上げて間もなかったHeroinを軌道に乗せることもできた。
でも、その勢いが徐々に衰えていくと、運営が厳しくなり始めたのはHeroinだけじゃなく、
話をする相手という相手が同じく大変な状況におかれているコトを知った。
日本からのオーダーが激減していたにも関わらず、
めげずに日本へのツアーを続けていたHeroinに対して、周りは理解に苦しんでいた。
2001年にデッキがよく売れたのは、ブームに乗っていたからに過ぎなかった。
その頃にスケートボードを購入した人達が、
“スケボーは誰にでも出来るコトじゃない”ってコトに気付き始め、
それに合わせるように売れ行きが悪化していったのではないだろうか。
スケートボードはそもそも危ない。
コケたら痛い。
さらに、コンクリートのスケートパークがそこら中に建設されているアメリカと違い、
日本もイギリスもスケートをする場所が沢山あるわけじゃない。
スケートボードとは、カリフォルニアを中心とするアメリカのカルチャーなのだ。
イギリスのカルチャーと言えば「サッカー、喧嘩、ビールを飲むコト」。
この3つに対抗しない限り、イギリスではスケーターとしてやっていけないのだ。
決して楽じゃない。
スケーターというだけで、アウトサイダーなのだ。
誰だってスケーターにはなれないのだ。
こんな話をしていたら、その友人は
「日本のシーンを盛り上げるには、スターが必要なんじゃないか」と言い出した。
この発言が何を意味していたのか、その時にはイマイチ理解できなかった。

その後、日本について書かれたある本を読むことになった。
アメリカ人のプロレスラーと戦った“力道山”の活躍ぶりが、戦後の日本人に誇りを取り戻させ、
さらには、力道山の試合を観戦したいが為にテレビの購入が日本の経済を活性化させたのだ。
たった一人の力で国が変わり得るという事実に驚かされた。
同じく国民的英雄であり、90年代に大活躍した野球選手の野茂英雄もその本で紹介されていた。
そんなワケで、友人の発言は正しかったのかもしれない。
日本国民は、ライアン・シェクラーやポール・ロドリゲズ、グレッグ・ラツカ級の
トップレベルのスケーターの誕生を待ち望んでいるのかもしれない。
この発想も分かる。でも、僕の視点はこれとは違う。
何故なら、スケートボードはアンダーグラウンドな位置づけであり、一般大衆とはほとんど無縁だからだ。
街でVansを履いている人を発見して、“あっ、スケーターだ!”と思ったのも、昔のコト。
靴の側面に空いているはずの穴、肘に付いているはずの傷跡をいちいち確認しない限り、
ホントにスケーターかどうかは見極められない。
スケートボードの存続に貢献してきたスケーターとは、今、スケートをしている人達なのだ。
僕にとって本当のヒーローとは、シーンの状態に左右されることなく、
スケートが好きでしようがないから滑っているスケーターや、
お金の為じゃなく、スケートボードへの情熱があるが為に
スケーターの映像や写真を撮影しているフィルマーやフォトグラファーなのだ。
そういう意味では、日本には既に沢山のヒーローが存在している。
中村泰一郎(チョッパー)、浦友和、細田大起、三枝博貴、宮城豪、漆間政則、森田貴宏、
中村久史、大本芳大(デシ)、高山仁、米坂淳之介、丸山新太郎(マル)、小澤正道の他にも
数多くのスケーターが日本のスケート・シーンに貢献してきている。
彼等とは過去10年間、日本へ行く度にトレード・ショー等で会う機会があったけど、
これからの10年間も、日本を訪れてトレード・ショーへ足を運べば
彼等に会えるだろうというコトが容易に想像できる。
何故なら、僕と同じく、彼等も“死ぬまでスケーター”だから。
山もあれば谷もあるスケート業界だけど、
こういう連中のお陰でスケート・シーンが絶えることなく、生き続けているのだ。
今現在のスケート・シーンは、しっかりとした基礎に基づいていて、
これまでになく最高の状況ではないだろうか。
ブームが再来するような気配がしてならないのだ。
過去のパターンを振り返ってみると、
1988年、2000年のように10~12年置きにブームが到来していることから、
次は2012年辺りという予測が付く。
ホントにブームがやってくれば、これはスゴいコトになりそうだ。
渋谷で計画されているパークが建設されれば、その影響力は計り知れない。
この間日本を訪れた時には、渋谷のタワーレコード店内で、なんとCreatureのビデオが上映されていた!
ブームは既に沸き起こっているのかもしれない。
テレビゲームや映画等ではなく
(きっかけなんて単純なモノで、僕なんかはBack To The Futureを観てスケボーを買ったくらい)、
アンダーグラウンドのリアルなスケート・シーンが発端になっているブームなのかもしれない。
セメントを流し込んだり、スポットを修復したり、長年滑られていない古いスケートパークへ足を運んだり、
スケーターの行動に色々な異変が起きている(スケートできる場所を増やし、
シーンに大きく貢献しているFelemと、淡路島にボウルを作ったOldtownの高田君にはリスペクト!)。
プール、バンク、レッジ、レール、ステア、ランプ、パーク、ストリート、
とありとあらゆる場所で滑りたいという気持を
持ったスケーターが増えているコトだけは間違いない。
YouTubeにアップされているOverground Broadcastingの宮城豪のパートの再生回数は665,000回で、
今尚、増え続けているし、
アメリカのデッキカンパニーにスポンサーを受けるデシとマルのパートは世界中のスケーターに注目されている 。
こんな調子で日本のスケーターによる素晴らしいフッテージがどんどん世界へと発信されている。
日本人のスターを必要としている僕の友人の願いが叶う日もそう遠くはないだろう。

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1回目 2010/4/21 『Lost in Transition』
2回目 2010/5/19 『CREATING A SCENE -シーンの創造-』
3回目 2010/6/2 『6枚のスケッチ』
4回目 2010/7/7 『外国から見た日本』
 
 
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