interstyle magazine
 COLUMN

skate columnSKATE COLUMN 2015/12/16

 
折原 紀満(オリハラ ノリミツ)
Solid Skates(ソリッドスケーツ)という屋号で
無垢の木材からスケートデッキを造る、デッキシェイパー。
1961年誕生・北海道札幌で育ち、十代前半にアメリカン・カルチャーの洗礼を受け、何かが覚醒。夏はもちろん、乾いた路面さえあれば冬でもスケートボードで遊び、スノーボードが登場してからは、嫌いだった雪でも遊ぶようになり、バートン・スノーボード初代チームメンバーに選ばれる、主にスラロ-ム競技を得意とし、スケート・スノー共にレースを楽しむ。十代半ば~二十代前半は、横乗り遊びに魅了され定職すら持たず滑りっぱなし。さすがにマズイと、1986年東京に居を移し生活を一変。場所が変われども、同じ嗜好の仲間にも恵まれスケートやスノーも結構充実した週末を過ごし、例の泡が弾けてもめげずに一端のサラリーマン生活を送るが、2012年四半世紀近く楽しんだ東京生活に別れを告げ帰郷。故郷の札幌で大好きなスケートデッキ作りを生業に選び、現在に至る。
1回目 2015/12/2 『出会い・そして別れ』
2回目 2015/12/16 『嗚呼、ハマっていく』
3回目 2016/1/6 『スケートボードのおかげかな?』
4回目 2016/1/20 『僕はいつまで滑れるのかな』

『嗚呼、ハマっていく』

一話目は僕とスケートボードとの出会い~お別れまでのお話でしたが今回はその後のお話です。
僕の中学から高校時代、同年代の方ならば懐かしく思うかも?そんな話です、
お若い方々には退屈な昔話かも知れませんが お許し下さいね。
70年代中盤、スケートボードに関する情報も含め、
新しいことは自分で歩いて見つけなければならない時代。
大方の地方都市は然程変わりの無い状況だったと思いますが、
それでも歩きまわり見つけたのが、今は無き大手スポーツショップでした。
当初は、僕のスケートボードを直して使えないものだろうかとも思って通いましたが、
訪れる度、店頭に並ぶスケートボードの種類は増えて行き、しかもどれも自分が使っていたものより美しく、
そんな訳でついつい新しいスケートボードに目がいってしまいました。
G&SやHobie, BAHNE, California expression, Infinity, Obrien・・・etc
その誘惑たるや、それはそれは大変なものでしたが、
残念ながらどれもこれも予算オーバー、
15~6歳の小僧にはまだまだ高嶺の花でした。
それでも何とか自分の手持ちで満足出来る板を見つけるべく通い悩みました。
幾度も通ううち、ボート型シェイプのグラスファイバースケートボードが入荷、
グリーンのデッキ面に白いボトムで、きれいな透明グリーンのウィルに一目惚れ、
しかもこれが他のものに比べて格段に安かった!
聞くとKKMという国産のブランドなので安価だとの事、
本当はMade in USAのスケートボードが欲しかったのですが、
ここでは残念なことに物欲と予算の天秤で予算が勝ってしまったのですね。
しかし、このことから道具は大事だと言う事を身をもって知る事となっていきました。
早速手に入れ、毎日のように滑りまくりましたが何か違う?
新しいベアリングと硬いウィルの為、前のに比べて早いのです・・これはコーフンしました!
けれど何ともトラックの動きが心細く、ターンが思うように曲がらない。
しかも無理に曲げようとすればいきなりスキッドしてしまう、
最初は滑れる嬉しさで良かったんですけど・・
何と言ってもヤバかったのが、スピードが上がった分どうにもこうにも靴が滑る!
ちょっと急にターンしようものなら、ズリッて・・何度足がスッポ抜けてコケたことか?
これは滑り止めをしなければと早速デッキテープを導入!とは言っても、
金物用布ヤスリを両面テープでデッキに貼ってみたのです・・・がすぐ剥がれる。
これじゃダメでしょとショップへ行き、店員に話したら笑われる始末・・
当時は1インチとか2インチとかの巾で
10センチ単位のロール売りでしたので、1メートル程買って来て貼りました。
変わりましたね、足がスッポ抜けない!何でこんなにターンが楽なの?
ウォーキングだって楽に出来るようになりました、
それまではスケートボード=坂 の図式だったのに、平地でも遊べることで随分と世界が広がりました。
出来ることが広がる分、より道具に目が行くようになり、
いよいよ自分のスケートが物足りなくなって来るのです。
デッキテープであんなに変わるなら等と考え始め、雑誌で新しい情報を読み漁り、
今使っているウィルじゃ硬すぎてグリップが甘い!とか、ベアリングは絶対シールドじゃなきゃ!とか、
それでスピードが乗る分安定したターンが出来るようワイドトラックじゃなきゃとか、
デッキにはキックが必要だし、ファイバーよりもウッドのほうがカッコイイ・・・
つい先日まで新しい板を手に入れて、滑れることが嬉しかったはずなのに何とも物足りない。
やはりもう少しお金を貯めてでも良いモノを買うのだったと素直に後悔しました。
それからというもの、ショップに行っては次はどのパーツで組もうか等と妄想にふける時間が増え、
何と言っても道具について一端の知識を蓄えるには格好の居場所でしたので、
まだまだ新しいものなど買えもしないのに居座る・・ホントに迷惑な小僧だったと思います。
その頃になってくるとエライ勢いで同志が増えたらしく、
あちこちでスケートボード&ボーダーを目にするようになり、
一大ブームとして流行り始めたそんな頃、札幌にもスケートボードの専門店があることを知りました。
その名もWestCoast、今は無き伝説的なショップなのですが、
オーナー自らアメリカで買付けしたモノを並べている、当時としても結構コアなショップで、
スケートはもちろんグッズ等々かなりマニアックなパーツが並んでいたと思います。
行きつけのスポーツショップには無い物なども色々と置いてあり、
モノ好き小僧にはこちらもタマラナイ場所でした。
余談ですが、そのショップ主催で札幌初のスケートボードクラブが作られました。
その名も、Sapporo Skateboard Club と言うあまりにストレートなネームでしたが、
その頃はもう、盲目的にスゲェ・カッコイイィー!と思ってました。
初回ミーティングは、今でも子供達の遊び場である大通公園9丁目の白い滑り台バンクで開催され、
大々的な告知など無かったと思うのですが、参加者は軽く100名を超えていたと思います。

当時のDMやクラブのグッズ等々
そんな時、上手い人達は真駒内公園で滑っていて、かなりレベルが高い!との情報、
そこは札幌オリンピックの開催により作られた公園で、今でも僕たちのホームなのですが、
高低差のある自然の地形を生かした園路が舗装整備され、しかもスケート禁止では無くパラダイス的なところ。
恐る恐るその公園に足を運ぶと・・殆どの方は僕より年上で、噂通り皆が上手なんですよ・・
乗っている板だって、もうムチャクチャカッコイイのばかり!
ヤバかったです、もう自分のレベルを遥かに超えている方々ばかりでした。
今で言うフラット・トリック的な滑りをし、パイロンを並べてスラロームする、みんな上手い!
それまで雑誌でしか見ることの無いトリックがそこにある、もうショックでした。
いつも一人で滑り、他のスケーターとの交流などまだ無かった頃、
自分のテリトリーを出るとこんなにも上手な方々がいたんだと、ヤラレタ!と猛烈にやる気が出ました。

これらが当時の先生でした。
それからというもの、学校からの帰宅後は夜中まで家の近所で滑り、
週末は朝から日が暮れるまで真駒内公園で滑り その後ショップに入り浸る。
季節が変わり雪が降ると地下駐車場や高架下などに忍び込み、とにかく滑る、
凍りついた路面でも、指先がかじかむ気温でも関係無く楽しみました。
やがて雪も溶け新しい季節になり、待ちに待った真駒内公園でのセッションがまた始まりました。
そんな頃、今年はフリースタイルとスラロームの二種目でコンペが開かれるという噂が広まり、
フリースタイルは少々苦手でしたので、得意なスラロームに照準を合わせて練習の日々。
知恵もついたので簡単なチューンアップなども施したのですが今の板ではまだ遅い!
このあたりからです、もう自分の道具では追いつかなくなってくるのですね、
これが後押しになりました、いっそ新しい板を買うしかない!
学生の本分である勉強などには目もくれず、
しかも大事な練習時間をも削ってバイトを始めました、本当にダメなヤツでしたね~
時代はスケートボードの黄金期、続々と新しいメーカー・ブランドが立ち上がり、
まさに日進月歩のスピードで道具やスタイルの進化が始まっていました。
書店には当然の事のようにHow To本が並び、ショップには毎週のように新しいパーツが入荷してくる。
そんなパーツの中にはエエッ?と思うものやら、これはどうやって使うの?的なものもあり、
メーカーとしても試行錯誤の時代だったのでしょう。
作り手の想いや憧れがそのまま形作られた、モノの持つ魅力?魔力?
それを感じるには十分な個性が満載のパーツ達などが山積みでした。

当時のパーツ諸々、個性たっぷりのモノたち。
そしていよいよ僕が手に入れたのは、ソリッドウッドのデッキにワイドトラック、
ウィルはオレンジ色のスラローム用、今では当たり前ですが憧れのシールドベアリング仕様です。
板の重さが少々の難点でしたが、スラロームやダウンヒルではこれが早かった!
ターンの踏込みでキチンと反応、しかもズレない!スピードが上がってもウォブルしない!
前の板がまるでオモチャとしか思えなくなってしまう程のそれは
当然のようにレースでも早かった、おかげで常に上位にランクインできました。
もちろん早く滑るには練習ありきでしたが、同時に道具の大切さを身をもって知りました。
今思えば、僕が今やっているモノ作りの原点はこの辺りにあるのかもしれません、
そしてこれから僕はスケートボードという泥沼にハマっていくのです。

真駒内公園で滑る16~17歳の僕。
と、今回はここまで、
そして僕はズブズブとスケートボードの泥沼に・・・・・・ 
今回も最後までお付合い頂き、感謝!!です、
そして残りの二回もお付合いヨロシクです。
僕のフェイスブックページ:https://www.facebook.com/norimitsu.orihara.1
SolidSkatesのフェイスブックページ:https://www.facebook.com/solidskates

skate column折原 紀満(オリハラ ノリミツ)
1回目 2015/12/2 『出会い・そして別れ』
2回目 2015/12/16 『嗚呼、ハマっていく』
3回目 2016/1/6 『スケートボードのおかげかな?』
4回目 2016/1/20 『僕はいつまで滑れるのかな』
 
 
Copy right © INTERSTYLE Co.,Ltd All Rights Reserved.