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 COLUMN

skate columnSKATE COLUMN 2016/1/6

 
折原 紀満(オリハラ ノリミツ)
Solid Skates(ソリッドスケーツ)という屋号で
無垢の木材からスケートデッキを造る、デッキシェイパー。
1961年誕生・北海道札幌で育ち、十代前半にアメリカン・カルチャーの洗礼を受け、何かが覚醒。夏はもちろん、乾いた路面さえあれば冬でもスケートボードで遊び、スノーボードが登場してからは、嫌いだった雪でも遊ぶようになり、バートン・スノーボード初代チームメンバーに選ばれる、主にスラロ-ム競技を得意とし、スケート・スノー共にレースを楽しむ。十代半ば~二十代前半は、横乗り遊びに魅了され定職すら持たず滑りっぱなし。さすがにマズイと、1986年東京に居を移し生活を一変。場所が変われども、同じ嗜好の仲間にも恵まれスケートやスノーも結構充実した週末を過ごし、例の泡が弾けてもめげずに一端のサラリーマン生活を送るが、2012年四半世紀近く楽しんだ東京生活に別れを告げ帰郷。故郷の札幌で大好きなスケートデッキ作りを生業に選び、現在に至る。
1回目 2015/12/2 『出会い・そして別れ』
2回目 2015/12/16 『嗚呼、ハマっていく』
3回目 2016/1/6 『スケートボードのおかげかな?』
4回目 2016/1/20 『僕はいつまで滑れるのかな』

『スケートボードのおかげかな?』

明けましておめでとうございます。
お決まりのご挨拶から始まる三回目のコラム、
どうぞ最後まで読んでやってくださいね。
前回では少々の回り道などしつつ、やっとそれなりのスケートボードを手に入れ、
タイムレースという新しい世界に足を踏み入れた所まででした。
そして、このレースというヤツの為にその後の方向性が固まっていった様に思います。
レースというもの、まずはそのスキルを向上させる為の練習を繰り返すのですが、
僕の場合、同じことばかりしていると次第に飽きが来ることがままあります、
そんな時です、決まって悪い虫が疼き始め、
「このセッティングじゃもう限界かな?」などと道具をイジリ始めるのです、
おそらく限界などはもっともっと先にあるはずなのに。
誰々があのブッシュはスゲェ等と言うと、それが気になって仕方がなくなり、
また誰かが新しいウィルの速さについて語ると、もう大変!
そうすると、小金を貯めてはちまちまとパーツを交換し始めるんです。
実際使ってみて良ければOKなのですが、そうじゃない場合もまま有る訳です、
まだまだ発展途上、メーカーすら試行錯誤の時代、
ましてや現在の様に用途別にパーツが細分化されていない訳ですから、
レースで使うにはちと物足りないけど、捨てるわけにもいかない・・
そんな事を繰り返すうちに、余裕で別のスケートを組めるパーツが揃う訳なんです。
かといって新しく組む為のデッキが無い、ならば!と、
一話でお話した、戸車を取り付け作ったスケートモドキよりは多少ましなデッキを自作しました。
図画工作は自分的には得意分野だと思っていたのですが、
昔のモノよりましとは言えどそれは何とも残念な出来でした。
それもそのはず、ラワンの合板を両刃鋸を使い直線を繋ぎ合わせて切っただけ、
仕上げだって大したものじゃない、
当時は糸鋸すら持っておらず
ましてやジグソー等あるわけも無く、美しい曲線など切る術が無かったのですね。
恥ずかしくも残念な自分の不器用さを認識させられました・・・
しかし合板製なので、乗るとそれなりにフレックスします、これは以外に楽しいかも?と感じたのです。
最初に乗ったファイバーグラスのデッキも当然フレックスしたのですが、
何しろサイズが小さいためスタンスの自由度も無く、フレックスの使い方も理解できて無かったので、
まだまだ踏込むという感覚が掴めなかったのでしょう、板を踏込むとグイグイ加速する!
以前は無意識にしていた事でしたが、それをキッカケにポンピングとは何かと言う事が理解でき、
それが面白くて板のシナリ・フレックスを生かしたポンピングにハマります。
しかし何といっても残念ながらラワン合板、ネバリというものが無くアッと言う間に寿命が尽きます、
グイッ!ミシッッ!!・・・ハイおしまいです。
その当時デッキの素材に於いて、無垢材やファイバーグラス製などから代わって
現在のスケートボードの殆どで使用されているメイプル材のプレス合板のものが主流となりつつありましたが、
数社からメイプル×ファイバー・メイプル×アルミ等のハイブリッド素材のデッキがラインアップされており、
その造りから、すでに数種類のフレックスを選べたりもしました。
フレックスを使ったポンピングにハマった僕は、
次期レースボードとしてメイプル×ファイバーのデッキを選び、
足回りも定番のスラロームセッティング用パーツで組上げ、
調整を繰り返し自分なりの一応の完成形としました、
当時のスケートボードブームが去りローカルレースが開催されなくなるまでこのスケートは一線で使い続け、
ローカルレベルではありますが、様々なレースで勝たせてもらいました。
東京などではその後もレースは行われ続けているようでしたが、それに参戦するのは随分後になってから、
そこで自分のレベルなんてまだまだ低いものだった・・と知ることになるのですけどね。

(これが当時のレース用スケート、今でもほぼオリジナルのままです。)
これも余談ですが十年程前、AJSA-TAC主催の鵠沼で行われたレースに、
つい洒落でこのスケートに乗って参戦したところ、
またその頃がたまたま世界的なスラロームブームで、
そのレースの為に遥々アメリカから参戦した選手に、
「お前達はまだそんなクラシックな道具を使っているの?マジか?」と驚かれました!
それもその筈、彼の乗るデッキはカーボン×エポキシ製、アルミ塊をCNCで削ったトラックにレース用ウィル!
日本のスラローム・スケート文化について、僕は彼に誤解をさせてしまったようです・・申し訳ない。
話の時代を戻しますが、
流行り始めのスケートボード・ブームに比べ、世間(札幌)ではその熱が落ち着きを見せ始めた頃。
そして、もう大きなレースは開かれなくなった頃。
滑ることが大好きな僕達は、お約束の様に平面での滑走からバンクへの興味に支配されていきます。
雑誌を広げればスケートパークの特集、国内でもいたるところでパークが新設されてました。
道具だってもう凄いことになっていきます、デッキやトラックのワイド化は留まる事を知らず、
玄人好みの木地仕上げのデッキから変わり、派手なグラフィックがボトムにプロセスされはじめ、
ウィルだって透明色から不透明で派手な色になり、コアが入りエッジの丸いものやコニカルなどが最先端、
そうなれば僕たちだってその為のスケートを新調し、それを使う場所を求めショートトリップを繰り返します。
それは、廃墟になったドライブインのスロープであったり、ボブスレーのコンクリートコースだったり、
斜めになった面であればそれはもう「バンク!」と呼んではばかりませんでした。
けれど何といっても凄かったのが某スケートパーク!
しかも当時にしてはあまり前例の無い公営施設!
全面コンクリートの面ツルハーフパイプとボウルが掘り下げられ、
地上には両面バンクのコンクリートウェーブ設置。
しかしその設計がヤバかった!
小さめのRに長~いバーチカル、リップは地上から1.2Mほど突き出ているオマケ付き。
然程の経験も無い僕には余りにハードコア!
せいぜいカービングでリップ近くまで行くのがやっとでしたが、
決死の覚悟でオフザリップが決まった時には、心臓が口から飛び出そうとはこの事ね?な感じでしたし、
ロックンロールが出来たときは、ボトムでヒザが震えました。
そんなビビリな僕でも無謀に何度もエアーに挑戦をしましたが、トライする度に不発が続きます、
グラブでなんとなく浮いた事はありましたが、雑誌でみたようなそれには到底届きませんでした。
そんな時思うのです、やっぱり僕はスラロームレースが好きだなぁ~

(そのパークがまだキレイな頃の様子です。)
この辺りの時代になると今までのスケートボードの経験を買われ、
あるショップからのお誘いを受けることとなりスノーボードとも出会います、
初めて乗ったのは○ヤックというFRP?プラスティック?成形の板でしたが、
TV番組の為にレポーターと一緒にちょっとだけの体験、
そのメーカーの自称プロライダーから少々のレクチャーを受けてのブッツケ本番、
安定感などほぼ皆無の板でしたが短い時間で何とかモノにして、
これは自慢じゃ無いけど、教わった僕たちのほうが上手に滑ってました。
それから後、これもTV番組でのエキストラでしたが、
○ートン・スノーボードが広報の為に社長自ら札幌を訪れたので、彼らと一緒に滑るというもの。
荒井山という札幌市内にあったローカルスキー場での体験でしたが、
これが以前のものに比べ、ちゃんと安定した滑走ができる事から以外に面白くてそれにハマり、
今は無き○パイズハウスというウインドサーフ店で働きながらインストラクターをやらせて頂き、
だったらと、初の○ートン・チームとして代理店と契約までさせて頂くこととなり、
上陸したばかりのスポーツだったので、その前例が無い為ほぼ早い者勝ちな時代でした。
今の選手にしてみればそのレベルで契約?だったでしょうね・・
そしてスケートで大好きだったあのスラロームレースに、今度は雪上ですが参戦することが叶うのでした。
当時のレースで一緒に滑った仲間達の中には、
自身の経験から次の世代にバトンを渡すべく活躍している方々が一杯です。

(スノーボードに出会う前には、こんなので滑ってました。)

(初期のスノーボード、これでレースだからそのレベルは言わずもがなでしょ?)
乾いた路面ならスケートボード、雪が積もればスノーボード、ほんのちょっとだけ波遊び。
少年の頃より続くそんな横乗り大好き生活でしたが、
何よりも有り難い事に、その中で僕には欠かせない大事な友人たちにも出会えました、
当時なら、その面々とはそれが当然のように随分とおバカな事をして遊んだり滑ったり。
長い付き合いです、40年近く過ぎた今でも時間が合えば一緒に滑る仲間であり、語り合える友人たちです。
恐らくスケートボードというアイコンをクリックし無ければ、
そんな友人たちにも出会えなかったのでしょうね?
そう、またまた余談ですが、
あのコンクリートパークは当時の面影は無く、荒れ果ててはいますが今でも存在します。
国内外のスケーターがゲリラ的に挑むその場所でのライディングは、当時の僕には想像すら出来ないものです。
どんな場所でも滑ってしまう、そんなスキルを身につけていくスケートボーダーってスゴイですね。

今回も最後までお付合い頂き、感謝!!です。
そして次回、最終回は今の僕についてお話ししたいと思います。
ではまた、お付合いヨロシクです。

僕のフェイスブックページ:https://www.facebook.com/norimitsu.orihara.1
SolidSkatesのフェイスブックページ:https://www.facebook.com/solidskates

skate column折原 紀満(オリハラ ノリミツ)
1回目 2015/12/2 『出会い・そして別れ』
2回目 2015/12/16 『嗚呼、ハマっていく』
3回目 2016/1/6 『スケートボードのおかげかな?』
4回目 2016/1/20 『僕はいつまで滑れるのかな』
 
 
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