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 COLUMN

skate columnSKATE COLUMN 2016/8/3

 

小澤正道
1973.9.18 O型
5歳の時ポケバイに乗り始め、8歳からはスキー、10歳からスケートボード、14歳からギターとドラムを...そして現在もスケートボーダーとして、バンドマンとして、バイク乗りとして刺激を求めてサバイブする男。ニックネームはOZZY。
スポンサー 5050 Skateshop, Roots Skateboards, Stonp, 二番煎じベアリング,
ガレージ沢平, Firebird industries, TKサイクル, CHROME SHIBUYA
1回目 2016/6/15 『宝物はどこにある』
2回目 2016/7/6 『天国と地獄』
3回目 2016/7/20 『絶景を見たいから』
4回目 2016/8/3 『生粋のアウトサイダー』

『生粋のアウトサイダー』

僕は 北九州は小倉に生まれた。
幼い頃は 家庭の特殊な事情のため 僕の生活環境は いわゆる普通 ではなかった。
生活の場所が変わるたび 僕の中には 期待と不安が入り混じり
子供ながらに アウトサイダー的フレイバーが少しずつ 養われたのだろう と思われる。
いや、間違いない。
僕は生粋のアウトサイダーである。
いや、違う。
僕は生粋のアウトサイダーだった。
と言っておこう。
その生粋のアウトサイダーの幼き頃は
あの子と遊んじゃいけません的 親御さんの表情や 声までもが 突き刺さる毎日で。
一人寂しく 辺りの草むらや公園を歩いては いつも何か楽しいことを探していた。
そして 大人に対しての反感からなのか、多少のイタズラやワルサ なんかは平気でやってのけていたな。
反省なんか しやしない。
家に帰っても 誰もいない 5~6歳のアウトサイダー
暗闇の家 布団にくるまり いつ帰るかもわからない 親の車のライトの光を 待ち続ける毎日。
まぁ 当時は親を恨む術さえ 知らなかったし
今となっても そんな事なんて これっぽっちも恨んでいやしない。
ただ、本当に沢山の イジメってやつには 遭遇して来たな。
そう 僕は 生粋のイジメられっ子
でもあった。
家庭環境の違いで 仲間はずれ
これにおいては 僕に 罪はあったのか。
もちろん 母親は そんな僕を待ち受ける 更に悲惨であろう将来を
そこからの脱出手段を取るべく 北の大地への移住を決意していた。
そこにあった母親の 苦労と愛情は 今の自分にはよく解っているし、
僕自身の因縁と言うものへの戒めにもなっている。
そう そして北の大地に降り立った8歳のアウトサイダー
そこでも やはり 南と北のコトバの違いか 
それとも 既に 性格がヒネくれてしまっていた性なのか
僕はイジメの対象になりやすいのだろうか
まぁ 仲間はずれ なんて今更 慣れっこですよ。
生活の為、必死に働いてくれる母親とは なかなか会えなくても
愛情が注がれている事は その頃は十分にわかっていた。
忙しい母親の代わりに祖父母が 毎日僕の帰りを待っていてくれたし。
余談だが、僕は現在 東京と千葉を拠点に スケートボード用セクション製作会社を営んでいるが
セクションという物を作成したのは 中学一年の時
当時の自宅の庭に5フィートのミニランプを作ったのが最初だ。今は亡き、祖父と共に。
そう 当時の僕の家は 僕にとっては宝箱だったんだ。
イジメにあっていても 悔しい思いをして来ても
僕の帰る場所は まさに最高の宝箱
特に 自宅の庭にミニランプなんて 今となっても夢みたいな話だが
何よりも 僕を心配し 叱り 理解し 助けてくれる 家族がいたから今でも宝箱だったって思えるのだろう。
そしてスケートボード
それまで 仲間はずれが多かった 僕の人生に ひとつの夢を抱かせてくれたもの
光をくれたオモチャだ。
学校では アウトサイダーだった ひとりぼっちな僕に 何か ピッタリくっついてくれる。
地元 札幌で開催されていたコンテストの存在を知り、AJSAという全国規模のコンテストを知り、
アメリカの華々しいシーンやプロスケーターの活躍を知り、日本人プロスケーターの存在を知り。
その頃は、学校が終わり一目散に帰ってすぐにスケートに乗る。
近くのストリートで 暗くなるまで 一人でも練習。
晩御飯に帰って、またミニランプでクタクタになるまで。
数少ない雑誌やビデオを何度も見返して研究。
そんなひとしきりが終わると、最後に汚れたウィールやパーツを綺麗に拭きあげ、一緒に就寝。
僕をトリコにしてくれたんだ。
僕にとって スケートボードって 素晴らしいとしか 他に言いようがない
そして 生粋のアウトサイダーな僕を 見守り スケートボードを見つけた僕を 応援してくれた家族、
この家族の存在なしに 僕の人生は語れない。
そして 中学生になっても 学校生活においては
相変わらずだった 生粋のアウトサイダーな僕にも 仲間が出来た。
恐らく、人生で初めての仲間が。
これは今考えても 驚きだ。
奴等と出逢ったのは 札幌の何処かのストリートだったか、
いつかのコンテストだったのかは 正直思い出せないが 、
その仲間たちは いつも 「金がない」からとスケートと水筒だけを手に
およそ20キロの道程を プッシュだけで 毎週末 僕のところへ訪れた。
自宅のミニランプは勿論だが、
週末にどこでスケートするかを お互い電話連絡でチェックしては 毎週末の様に 一緒に出掛けていたな。
僕にとって その時の仲間達との思い出は 今でも ふと思い出すたびに この胸を熱くさせてくれる。
ただ 何処かに集まり ただ ガムシャラに スケートボードに乗るだけ
これ以上やると 帰りのプッシュが出来なくなるからと ようやく帰路につく
その時は将来の事なんて 何にも予想なんて していなかった 出来なかった。
けど、それで良かった。
時は経ち 僕はいつの間にか 東京辺りに生活を移し
スケートボードのプロとして活動し 全国をコンテストやデモンストレーション等で 周り続けていた。
やはり、また 俺は生粋のアウトサイダーなんだな なんて思いになるべく
打ちのめされる時期にも突入していた。
その 確か東北ツアーの最終日辺り
突然現れた 「俺の仲間」
およそ15年は経ったであろう あの日から
彼は恥ずかしげも照れるでもなく、僕の前に現れた。
しかもアマチュア戦のコンテストに、参戦する為に だ。
彼とはコンテストの後も 少ない時間を惜しみながら セッションしたり
現在の情報交換や お互いのあの時の夢を語った話、それぞれのこれからの夢の話もした。
そして別れ際、しっかりと使い込んでありそうな 彼の手帳から出て来たもの。
一枚の写真
ガムシャラに スケートばかりしていた 若かりし 俺たちの笑顔だけの集合写真
なぁ 最高だよ
その時は 嬉しさのあまり ほとんど気付かなかったのか
アイツが匂わせないで頑張って居たのかはわからないけれど
アイツも僕と同じ 生粋のアウトサイダー
そうなんだって事が 少ししてから 何かわかった気がする。
「金がない」
そう言っていた 彼の小、中学生時代を思い出した。
そうだ アウトサイダーでイイじゃん。
人間は 特に 僕たちが生きる この日本ってのがわかりやすいが
何か他人と違うところ 例えば 性格や容姿 生い立ち 更には収入の格差 において
区別や差別をしたり 自己を正当化するため  防衛したいがために その人を 負のモノサシ にしたりする。
ただ自己の中においてのモノサシにするならば まだ良いのだが。
その容姿の違いを差別して 強制的に人を分別して 愚か者に仕立てるのは 誰かに教えられた事だったっけ
性格や能力の違いってのは 何かいけない事の様に なっていやしないか
それから みんなと同じように 見た目を地味に なるべく目立たぬように 一般常識人のフリをして
それが出来ない奴は 落ちこぼれのレッテルを
ハハハ
じゃあ もし タトゥーだらけの この僕の この目が見えなくなってしまったら どうだろうか
例えばあなたは 僕を憐れみ始め
タトゥーの事は許して 僕の人生が 少しでも良くなるようにと 祈ってくれるのだろうか
もし 僕の耳が聴こえなくなってしまったのなら
僕の人生や容姿を差別することなく 憐れみながら 手を差し伸べてくれるのだろうか
ハッキリ言わせてもらうが そんなモノサシ クソ食らえだ。
だが 僕がここに記しておきたい事は みんなへのアンチテーゼ でも 誰かへの説教や文句 でもない。
前回のコラムにも綴らせて貰ったが、
僕はデモの仕事中の怪我によって 病院の先生曰く 良くて半身不随、
このままだと脳死の植物状態になる といった九死に一生を得る 的な経験をさせて貰っている。
僕たちが生きて いつか死んでいく中に 本当に必要なのものは 一体何だろうって 時々考えてしまうんだ。
この世の中で 幾ら金を稼ごうと 死んでしまえば 1円1銭すら 自分では所持出来ない。
遺産や借金は残せるみたいだが。
地位や名誉も 恐らく持っては行けない。
僕やみんなの人生に本当に必要な物事は 一体何なのか
もし 人や地球に対しての 優しさ ってものを貯めてくれる 夢のようなシステム あの世銀行
みたいなのが あったとしたら 僕たちはどうするだろう
それとは逆に
人や地球への 意地悪や嘘が 貯蓄されてしまう 地獄銀行 があるって事になったらどうするのだろうか
簡単に 罪 って言葉で言えてしまうほど
それは僕たちの生活に当たり前のように 存在しているもの 罪と言う 定義がある。
だが 僕が思うに 罪とは 警察に捕まったり 人を陥れてしまう事ばかりではなく、
肉眼では見えない 心の中での 差別や中傷も罪ではないかなと。
かなり 端的で無意味な話かも知れないが。
やはり 僕にとって絶対に必要で 心の底から欲しいものは 罪 ではない。
絶対的に 結論的に 愛 である と近頃は特に思うのだ。
僕のような輩は 刺青だらけで まるで自分勝手な生き物の様に見えるのだろうが、
本当に必要としている 欲しいものは 愛 である。
幼少の頃から 差別や中傷 これらを受けて来たのも 間違いないし、隠すつもりもない。
罪の意識だって ないわけじゃない。
ただ、だからこそ わかってること。
政治や宗教 経済 学問 etc...
それらを全て 度外視して
いや、逆にそれら全てと 精神性をも 含めた上で必要なもの。
生粋のアウトサイダーとして育って来たから
余計に敏感だし 大切にしたい気持ちが切実なのかも知れないが。
例え その愛を貯めてくれる 愛情銀行 なんてものが なかったとしても これだけは 良いだろう。
全てを愛する そんな事が出来たら それは凄いし不可能だろうけど、
少しでも多く 愛が溢れていたら この命が尽きる時 きっと 素晴らしい事が 起こるだろうな
なんて風には思うんだ。
だって 僕には 家族や仲間たちから貰った 愛ってやつが
ずっと消えないで 心の中 多分 魂ってところに 焼きついているから。
そして それこそが 軟弱極まりない この自分を支えてくれる 大きな柱になっているから。

アウトサイダー達に告ぐ
人と違うところがある 仲間に入れない 周りに弾かれてしまう 他人より何かが劣っている
残念だが それは 多分 生粋のアウトサイダーであることの 証だろう。
アウトサイダーであるが為に 寂しくなったり 苦しんだり はち切れそうになる時もある。
だが、アウトサイダーであるからこそ わかり得る大切な事があり そして役目がある。
アウトサイダーであるという事は、
とても貴重であり その人生経験は 後に 間違いなく輝かしいものに繋がって行くだろう。
アウトサイダーである自分に是非 誇りを持って進んで行こう。
そして アウトサイダーは 決して 君ひとりでは ない。
GOOD LUCK OUTSIDERS...!!!

skate column小澤正道
1回目 2016/6/15 『宝物はどこにある』
2回目 2016/7/6 『天国と地獄』
3回目 2016/7/20 『絶景を見たいから』
4回目 2016/8/3 『生粋のアウトサイダー』
 

 
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