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 COLUMN

skate columnSNOW COLUMN 2011/5/18

 

ICHIGO (田中総一郎)
12年間BURTONのライダーとして活躍。
2003年にバックブランド「SAGLiFE」 を立ち上げる。
スノーボードの枠を越え、ウィスラーから、ニューヨークなど、
山と街のをつなげる活動に力を注ぐ。
スノーシーンでは、サーフライドパークを立ち上げる。今後は、アジアへの進出を考えてる。
1回目 2011/4/6 『今、できる事。小さな事からこつこつと!!』
2回目 2011/4/20 『がんばろう東北!』
3回目 2011/5/18 『「サーフライド」というカルチャー』
4回目 2011/6/1 『サーフライドへのこだわりと実現』

『「サーフライド」というカルチャー』

「サーフィンみたいなライディングのできる、パークを常設したい」
という思いからこのパークを造っていくことにかなり力を入れてきた。

夏はサーフィンをたのしみ、
冬は同じラインを楽しめるパーク、カルチャーが欲しかった。

当時、まだそういったスタイルが認知されていなかった。

このカルチャーを、しっかり認知させ、
このライディングをすることで、スポンサーがつく人が出てくればいいな、とも考えた。
カルチャーを大きくするため、
アメリカにわたり、BURTON USAの人やアメリカの雑誌、
パークを作っている人、などたくさんの人たちとかけあってきた。


アメリカでは、エンターテーメントとしての方向性が強く、
なかなか受け入れてもらえるのは難しかった。

いいねー。って言ってもらえる賛成者は多かったが、
実際、カルチャーを動かしている人たちの意見は、ネガティブだった。


このカルチャーは、日本で流行らせて逆輸入させるしかない、とこの時感じた。
日本に戻り、どのように広めるかを考えてきた。
パーク製作会社のBoard SmartとSnowStyleと組んで
カルチャーを作って行くことを決めることが出来た。

SnowStyleのコンセプトの1つとして入ることができ、
メディアから、しっかりとした発信ができるようになった。
川場スキー場で、プロデュースが決まり、はじめは、本当にそんなパークができるのか?
っと、一瞬不安もよぎった。
しかも常設することを考えて設計していくことが必要であった。

なんとか、イメージに近いパークを製作し、パークをオープンさせる。

いろいろな人がパークに入って来てくれた。
子供ずれのスキーヤーなども、入って来てくれた。
この風景をみて、涙が出て来た。
凄く幸せな気分だった。
ライダーの「見せる」という、仕事以外で感動を得られた初めての瞬間だった。

他のパークとサーフライドパークの根本的考えの違う点は、
みんなに滑ってもらえるパークであること。

ライダーがプロデュースするパークの多くは、
自分たちが滑るため、撮影するためのエゴのパークが多い。

自分はそこは変えたいと思っていた。



自分が、一番楽しめるパークでなくていい。
スキー場にくるお客さんが、安全でそして楽しく滑ってくれれば。
という思いだった。

スノーボーダーもスキーヤーも、大人も子供も。
一緒にスノーボードを楽しめる場所。
上手い人も、初めたばかりのひとも一緒に入って行ける場所でありたかった。

当時のパークは、一緒に滑りに行っても、上手い人は、大きなキッカーのある上級パーク。
そして、他の人は、他のコースへ。と分かれてた。
一緒に滑りに来たのに、結局バラバラに滑る。
それって面白くないとおもった。

上手い人も、まだ初めたばかりの人も同じコースをすべり、
上手い人の滑りを、目の前でみることのできる パークにしていきたい。

そして、それを、スキー場に常設すること。
このあたりが、このサーフライドパークというパークの真のコンセプトとなっている。

徐々にこのカルチャーも広がりをみせ、
サーファーの人たちもたくさん山に来るようになってくれたと思う。


今後、もっと大きなうねりとなって、更に新しいパークやアイディア、カルチャーが、
ここ日本から世界へ発信していけることを願っています。

ICHIGO


snow columnICHIGO (田中総一郎)
1回目 2011/4/6 『今、できる事。小さな事からこつこつと!!』
2回目 2011/4/20 『がんばろう東北!』
3回目 2012/5/18 『「サーフライド」というカルチャー』
4回目 2011/6/1 『サーフライドへのこだわりと実現』
 

 
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