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snow columnSNOW COLUMN 2015/11/18

 

柳田由人
茅ヶ崎市在住  趣味:渓流釣り、バドミントン、波乗り、等々...
作新学院って高校を卒業した後は、日本写真専門学校で写真の勉強をして卒業してから、高校の頃から滑っていたスノーボードに再度目覚めてプロスノーボーダーを目指しておりました。ライダー時代はSIMSよりサポートして頂きながらハーフパイプをしていました。その後SIMSの担当者からライダーの写真を撮ってみないか?って言われた事がきっかけでスノーボードカメラマンとしての道を歩き始める。その頃のライダー担当塩谷シンゴさんからは「おまえ活躍してるなライダーぢゃなくて...カメラで」って言われたりもしてました...(笑)
1回目 2015/10/21 『ATSUSHI 33!!!』
2回目 2015/11/4 『経験から得た単語...』
3回目 2015/11/18 『携帯電話の無い時代...』
4回目 2015/12/2 『いろいろな出逢い...』

『携帯電話の無い時代...』

それはずいぶん前の話です...。
日本人プロスノーボーダーに一時めちゃくちゃ人気があったレディアブリュレってスキー場があったんです。
10月11月頃はみ~~~んなスイスのレディアブリュレに常設された、大小合わせて8連続ジャンプのパークに
Tバーってリフト代わりのワイヤーで引っ張って上まで上がってはジャンプの練習をしていたんです。
ライオ君や中井孝治や石川敦士やコニタン、関口マユ、竹野大ちゃん、島田聡率いるスクローバー、
ファーストチルドレンや西田崇、布施忠など、もっとも~っとたくさんのライダーがいたんです。
ちなみにボクの奥さま吉川由里(まだ結婚前でしたが)も練習に来ていました...(笑)

まだ独身時代だったその頃は、同い年でかなり一緒に動き回っていたテリーコブラことYONEXの安藤輝彦と
レディアブリュレでの練習期間も終わったので、一週間くらい旅に行こうぜ~って話になって、
アンテルと二人でスイスから世界最速電車?のTGVでフランスはパリへ行く事にしたんです。
とは言え、荷物がハンパ無い僕達はスイスはジュネーブの空港でスノーボードバックだけ預けて、
一週間のパリへの旅に出掛けました。

ま、旅とか書いてますがパリでの行動は完全に観光名所巡り...
エッフェル塔、凱旋門、ルーブル美術館、シャンゼリゼ大通りなどなど...(笑)
パリでの移動は地下鉄乗り放題チケットを購入して地下鉄に乗りまくってました。
すると、ボクにしてもアンテルにしても勝手な行動をお互いしちゃって
ちょいちょいハグレちゃうんですよ...(笑)
なので、二人で取り決めを作ったんです。
はぐれた時ははぐれた場所の駅から、行こうとしてた方向の一つ目の駅で必ず待ち合わせね...って。
この取り決めは、はぐれちゃっても本当に成功して再会出来てたんです。

さあ、パリの観光も最終日の夕方、Gare de Lyon 僕達はリオンって呼んでました。
そのリオンでジュネーブ行きのTGVのチケットを二人で買ってさ~スイスへ帰ろうって
ホームの両サイドにG番線とH番線があって、H番線の電車に荷物を持って乗り込みました。
TGVは完全指定席なので、自分たちのチケット?切符?の座席を探して
やっと見つけた番号は個室だったんですよ...。
お~高級だね~なんて言いながらノリノリで座席に座ってたら、
アンテルが...おれコーラ飲みたいから買ってくるわ~って言うので、
いやいやもうすぐ出発だから車内販売で買いなよ~って言ったのに、
すぐ戻って来る....って財布だけ持って電車の外に走って行っちゃったんです...。
僕達の電車の出発時刻はPM5:30でした。
そしたら、電車の窓を叩く音がするとアンテルが外でドアが閉まってるから開けて~って言ってたので、
ドアの所まで歩いて行ってドアの所にあるOPENのボタンを押して開けてあげようとしたのですが、
全然開きません...。(TGVって寒いからかドアを開けたり閉めたり自分たちでできるんですよね。)
なんで開かないんだろ??みたいなそぶりをしながら開かないドアの向こうにいるアンテル...。
そしたらなんと、電車が走り出しちゃったんです!!!
ドアの向こうでは真冬のパリにロンT一枚で手にはコンビニ袋にコーラを持って
なんでだよ~~~的に踊り狂ってるアンテルがいましたが、
TGVは停まってくれるはずも無くぐんぐんスピードをつけてリオンの駅を後にしちゃいました...。
時計をみたら、まだPM5:28です...。
なんで予定時刻より早く出発したんだろう??って思いながら、
自分の座席に戻って荷物を確かめるとアンテルのパスポートも入ってるんです。
って事は絶対合流しないとアンテルはスイスに入れないんです...。
これにはちょっと笑っちゃいましたが、
ボクはアンテルとの取り決めを思い出してちょっと安心しちゃってたんです...。

しかしここからが大変でした...。

ボクのつたない英語でしかもフランスの電車の中で英語を話せる方を探して、
やっと見つけた若者は(ボクもその頃は若者...笑)一生懸命ボクを助けてくれました。
すると全てが明らかになったんです...。
まず僕達が乗り込んだH番線の電車それ自体に乗り込んだ事が間違ってて、
僕たちが乗らなきゃ行けなかったのはG番線のTGVだったんです。
だから予定時刻より二分も早く出発したし、個室でやたら高級だったんですよ...。
しかもこの間違った電車は直通電車で次の駅が終点でしかも三時間後だったんです...。

さあ困りました。この時は少ない脳みそかなり使いましたね~。

まずアンテルはボクと荷物が間違った電車に乗ってるとは思っていない。
アンテルとの取り決めでアンテルは次のジュネーブ行きのTGVに乗って
リオンの次の駅(仮にA駅とします)で僕と再会出来ると思っている。
しかし、電車の時刻表を持ってたボクは時間を調べたら、
リオンの次のA駅に着く時間にはまだボクが三時間直通電車の中なので全く連絡が取れません。
とにかくボクを助けてくれてるフランス人の若者と雑談しながら、
三時間後の(C駅とします)C駅に着いたらリオンの次にあるA駅に電話してみようっと事になりました。
三時間経って降り立ったC駅は未だになんて駅だったかわかってないのですが...(笑)
そこからリオンの次のA駅に電話をしてもらったんです。
そしたらアジア人が電車から降りたり乗ったりしながら
また同じ電車に乗って行ったぞ~的な情報をもらったので、
わかりにくいですがリオンの次のA駅の次のB駅に電話してもらって、
これからB駅に到着する電車にアジア人がいたらすぐ捕まえてくれ...って言ってもらいました。
ちょうどそのB駅にジュネーブ行きの電車が到着して無事アンテルをゲットしてくれたんです!!!
そして電話にアンテルが出てボクと約三時間ぶりにやっと会話する事が出来たんです...
「今は事情を話してる時間が無いから、必ずB駅に迎えに行くから何が何でもB駅で待ってて!!」って
言って急いで切りました...
なんでボクが急いでるかと言うと、夕方PM5:28から3時間経ってるって事は、既にpm8:30なんです。
今度はボクがまた三時間かけてリオンに戻らなくちゃ行けない、
最終電車の出発時刻までホント数分だったので急いでました。
そこまで親切に助けてくれたフランス人ともここでお別れ...。
今ならfacebookとかいろいろ繋がり方はあったと思うけど、
連絡先も交換しないでバイバイな感じだったので、
その時にボクが愛用していたSPYのサングラスをお礼として使ってくれる??って聞いたら
めっちゃ喜んでくれました。SPYさまスンマセンあげちゃいました...(汗)

そして、また三時間かけて無事パリのリオン駅に戻って来たのが、既にPM11:30!!!
慌ててジュネーブ行きの電車を探しましたが、もう時間が遅くて電車がありません...。
そしたら、TGVぢゃない電車があったのでそれで、アンテルの待つB駅に向かいました...が、
これまた終電でリオン駅の次のA駅までしか辿り着けませんでした。
しかし、明日の午前中にはアンテルはジュネーブから日本へ帰る予定になっていたので
なんとしてもアンテルと合流しなくては行けませんでした。
そしたらもうTAXIしかありません。
相変わらずフランス語しか話せないTAXIの運転手さんにクレジットカード使えるか聞いてみると、
ゼスチャーで乗れ!!的な感じだったので
一生懸命B駅まで行って~って行ってたら連れて行かれたのは銀行のATM。
ここで現金をキャッシングしろって事だったのです。
やっとB駅へ向かってくれることになったら、
ボクが持ってる自分の荷物とアンテルの荷物をアン、ドゥ、トゥルワ~...(1,2,3....)的な感じで
荷物の数を数え出してしっかり荷物分もお支払いさせられて、
なんとかアンテルの待ってるB駅に到着したのは、am1:00くらいだったと思います。
真冬のパリでロンT一枚でコンビニ袋ぶら下げてたアンテルはこの寒い中どうしたのかな~って思ってたら、
なんと駅員さんの青いジャケットを着てコンビニ袋もぶら下げて
約7時間半ぶりの感動の再会は何も言わずめっちゃハグしちゃいましたね~~~(笑)
翌日僕達は別れてアンテルは日本へ。
ボクはジュネーブからまたTGVでチューリッヒを経由してオーストリアへ別の撮影に行きました。


これが今だったら、携帯電話で全てが解決してましたよね~~~(笑)
この頃ボクはスイスでしか使えない携帯電話は持っていたんですよ...
もちろんフランスでは使えなくて参りましたね...(笑)

ボクはこの安藤輝彦とは未だにそしてこれからもずっと親友だと確信しています...。

この話は、本当に文章にする以上に大変だったんですよ...。
でも本気出せばなんとかなる!!
フランス人もたくさん親切な人もいますし英語も話せます!!

たまたまパリの話でしたが、
パリの同時多発テロ事件で犠牲になられてしまった方々に心よりご冥福をお祈り致します...。




snow column柳田由人
1回目 2015/10/21 『ATSUSHI 33!!!』
2回目 2015/11/4 『経験から得た単語...』
3回目 2015/11/18 『携帯電話の無い時代...』
4回目 2015/12/2 『いろいろな出逢い...』
 

 
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