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snow columnSNOW COLUMN 2015/12/2

 

柳田由人
茅ヶ崎市在住  趣味:渓流釣り、バドミントン、波乗り、等々...
作新学院って高校を卒業した後は、日本写真専門学校で写真の勉強をして卒業してから、高校の頃から滑っていたスノーボードに再度目覚めてプロスノーボーダーを目指しておりました。ライダー時代はSIMSよりサポートして頂きながらハーフパイプをしていました。その後SIMSの担当者からライダーの写真を撮ってみないか?って言われた事がきっかけでスノーボードカメラマンとしての道を歩き始める。その頃のライダー担当塩谷シンゴさんからは「おまえ活躍してるなライダーぢゃなくて...カメラで」って言われたりもしてました...(笑)
1回目 2015/10/21 『ATSUSHI 33!!!』
2回目 2015/11/4 『経験から得た単語...』
3回目 2015/11/18 『携帯電話の無い時代...』
4回目 2015/12/2 『いろいろな出逢い...』

『いろいろな出逢い...』

ボクは高校生の時に初めてスノーボードを経験しました。
その時はバイクにガッチリハマっていましたが、高校を卒業して写真学校に行った時に、
同じ目的を持っている人間が集まった時のもの凄いパワーに感動しつつも
オレもなんか頑張らなきゃ~!!!って一応写真学校は卒業して、
カメラマンの道では無くスノーボードでプロになりたい!!!って道を選びました...(笑)
最初の冬は尾瀬戸倉スキー場の旅館でアルバイトをしながら
ハーフパイプを練習したり南郷スキー場へ行ったりしていました。
そして夏には戸倉で籠ってた仲間でニュージーランドへ行ったりしました。
ちなみにその時のメンバーの中には、萩原まさあき、吉田裕子ちゃん、小山貴弘(じゅうべい)等々
後になってプロスノーボーダーになって行ったのですが...ぼくはなぜかプロ…カメラマン...???
なんでプロスノーボーダーになれなかったんでしょうね~(笑)
ボクが頑張っていたジャンルはハーフパイプでした。
今思い返してみると最近のスーパーパイプとはまるっきり大きさが違い過ぎて同じ競技とは思えませんね...(笑)
その頃にじゅうべい(高校の同級生)って後にプロになったのですがじゅうべいから紹介されて知り合ったのが、
スノーボード専門誌トランスワールド スノーボーディングプラスの編集長 野上大介だったんです!!
大ちゃんはハーフパイプッて言うかスノーボードが上手くて、
綺麗にルーティーンを作って常に好成績を残すようなライダーでボクが辿り着けなかった...(笑)
全日本にも行ってるんです!!
そんなハーフパイプをボクもず~~~と練習していて、
その時は精一杯頑張ってるつもりでしたが、
後にプロスノーボーダー(JSBA公認のプロスノーボーダー)の道を諦めかけていた頃に
自分のスポンサーであったSIMSチームのマネージャーに写真撮ってみない??って
声をかけられた事がきっかけでSIMSチーム(泉けんたろう、小林じゅんじ、ワッキー等々)の
撮影をさせてもらったのが、スノーボードの写真を撮った最初.....と思いきや、
ニュージーランドで一度一眼レフを持って行って
ちょっとしたバックカントリーっていうかサイドカントリーくらいのゲレンデの裏山で
ジャンプ作って、みんなで跳んでたのを撮ってあげた事がありましたが、
ほとんど真っ暗な写真で完全に失敗で自分でもビックリした事もありました...(笑)
(もちろんフィルムの時代ですが...)
それからもうちょっとカメラの機材を揃えたりして、
本気でスノーボードカメラマンを目指してみよう!!って時に
いろいろアドバイスを頂いたのはスノーボードライターでカメラマンの林拓郎さんでした。
拓郎さんとはボクが写真学校に行ってる時にアルバイトしていた雑誌社で知り合っていて
その頃は拓郎さんもまだスノーボードしてませんでしたからね...(笑)
そんな拓郎さんと再会したのは、北志賀ハイツってスキー場で
ポッカナイトロジャパンオープンって大会があった時の公開練習を見に行ってた時でした。
その頃のボクなんか目の前のハーフパイプで
プロスノーボーダー達がぶっ飛んでいる事に感動していたんですが、
そんな時に拓朗さんがカメラを持って颯爽と表れて(笑)
わ~拓朗さん久しぶり~なんて普通に挨拶をした後に、
さっきまでハーフパイプでぶっ飛んでた今は仲良し友達の宮田哲生プロに、撮影を始めた拓朗さんが...
「お~いテツオ~どこで飛ぶ~??」
(スンマセン!!!テツオって言ったかテツ~って言ったか忘れました)
わかり易く言うと
アイドルにめっちゃ馴れ馴れしく声をかけるお偉いさん...っ的なビックリだったんですよ...(笑)
え~~~あの宮田哲生にめっちゃ仲良しな感じで声かけちゃうの~??的なね...(笑)
それから、自費でマウントフッドへ撮影に行ってみようって思い
拓朗さんが住んでた部屋に住ませてもらったりと、大変お世話になりました。
翌年はとあるメーカーさんのフリーペーパーを丸ごと撮影させて頂けることになり、
その頃?その時?のメンバー(プロスノーボーダー)はヤバかったんです。
島田聡、安藤煇彦、松井克師、本間勝則、石原英明、田中シンジ、杉本明、荒木ルイ、関口マユ、石川敦士等々
いろんなライダーさんの撮影をさせて頂きました。
その後日本でワンダーマウンテンってイベントが開催されて、
平岡暁史や鎌田潤とも知り合い、そのタイミングでスノーボード専門誌SNOWingのハッチこと宮崎大輔と
カメラマンのGONさんと露天風呂で知り合った事がきっかけでお仕事を頂けるようになりました。
そしてまた夏にマウントフッドへ言った時の事です...。
SNOWingからメールがあって、
とあるプロスノーボーダーのインタビューが決まったから撮影をしてきて~って依頼があったのです...。
が、ボクはそのライダーの事は有名人だったので一方的には知っていたのですが、
ちゃんとご挨拶はした事が無かったその方は...
長野オリンピック直前のワールドカップで優勝して
いろんなメディアからは金デレラとかシンデレラなどと報じられた、吉川由里でした。
その頃ハイカスケードキャンプで練習していた彼女に、
SNOWingの撮影をさせて欲しいって初めて挨拶をして
ハーフパイプでライディング撮影をさせてもらいました。
パイプのバックサイドでインディーグラブをしていたのですが、その時の印象は足長いな~でした...(笑)
ちなみに、その時のボクの印象は?って聞いたら
やたらチャラいカメラマンが来たな~って思ったって言ってました...(笑)
それが、吉川由里との最初の出会いであった事は確かです。
その後彼女は、ソルトレイクシティオリンピックにも代表が決まった事を知り、
ボクも取材に行けることになって更に喜んた事を憶えています...。
それから数年後、ボクも結婚することになり早11年くらい...
今では家族四人で幸せに暮らせているその相手が、吉川由里でした。
もっともっといろんなライダーともメーカー担当者さんとも知り合ったし
ここで書き出せなかったのが申し訳ないくらいお世話になってる方々がほとんどですが、
のろけ話のようで大変申し訳無いですけど、
今でもボクを成長させてくれてる一生涯のパートナーで
バドミントンのパートナーでもある奥さんの吉川由里が
ボクの人生で未だに最もリスペクトしている人物なのは間違いありません。
今回でインタースタイルマガジンのコラムを書かせて頂くのは最終回になってしまいますが、
これからも、皆さんがなかなかLIVEでは見る事の出来ないプロスノーボーダー達の格好良さとか
素晴らしさとかスタイルとかいろいろなものを
ボクが撮った写真で表現して一人でも多くの方に伝えられるように
頑張って行きますので今後ともよろしくお願い致します!!!

この場をお借りして、ボクなんかを応援してくれてる方々や
友達、ライダー、メーカーさん、家族や親とかご近所さん、
それ以外の方々にも本当にありがとうございます!!!
恥ずかしい話、ボクは毎日BEERを飲む前にやってる事があるんです...(笑)
今日も一日無事で過ごせてありがとうございました...って感謝の気持ちを唱えてから飲むようにしています。BEERを飲む瞬間ってその日一日を終えてリラックスして無事に過ごせた時ですよね...。
またどこかで皆さんとお逢い出来て、
美味しいBEERで乾杯出来る時を楽しみにしてありがとうございました~~~!!!
yoshito!!!

snow column柳田由人
1回目 2015/10/21 『ATSUSHI 33!!!』
2回目 2015/11/4 『経験から得た単語...』
3回目 2015/11/18 『携帯電話の無い時代...』
4回目 2015/12/2 『いろいろな出逢い...』
 

 
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