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 COLUMN
surf columnSURF COLUMN 2015/1/7  

佐藤 弘一朗
1973年 11月17日生まれ。
15歳でサーフィンを始めるが20歳の時あることを機会にやめてしまう…
またあることが機会で27歳の時にもう一度サーフィンを最初からやり始め
現在サーフショップを経営する傍らNSAサーキットに積極的に参戦中。
コンペティションは勝つのが難しいのでは無く心からコンテストを楽しむのが難しいと
考える現在41歳のアマチュアコンペティター。
2013.2014.
ALL JAPAN SURFING GRAND CHAMPION GAMES シニアマスタークラス出場権獲得
職業
タスクサーフボード仙台店 FC仙台店代表
REVOLVER トラベルサポートギア代表
スポンサー:RISING SUN surfboards/ FLAVOR6 wetsuits/ Black Flys eyewear/
VESTAL/ DESTINATION/ BLACK RACE/ (有)カービング/ IN DEPTH/ REVOLVER
ブログ http://revolver1.exblog.jp/
1回目 2014/12/17 『リアルコンペティターへの道』
2回目 2015/1/7 『周りの理解と土台作り』
3回目 2015/1/21 『心・技・体、戦友との出会い、苦難、挑戦する事の素晴らしさ』
4回目 2015/2/4 『NSAサーキットツアー2014、苦難 苦戦 地元仙台での開催 グランドチャンピオンゲームズ出場枠獲得

『周りの理解と土台作り』

サーフィンをやめてしまってからは忙しくも淡々と日々が過ぎていった。
モデル系タレントのクラブイベント全般を担当していた私は出張で月の半分を東京で過ごし、
仙台での仕事でも仕事部屋でのパソコン制作業や外へ出ても薄暗いクラブでの設営仕事がほとんど…
クライアントとの打ち合せやスポンサーの接待などで昼夜逆の生活も少なくはなかった。
中学時代のバスケットや5年間続けたサーフィンで出来た色黒な自慢の体型も
その頃は色白で体重は58キロくらいになってしまっていた。
順風満帆な生活を送っていたが、仕事の激務とプライベートの少なさから
今度は人としての価値観や考えが少し曲がった方向へと進んでしまっていた。

仕事は楽しかったし、何も不自由だったわけではない…

でも私は何かに疲れていた。

そして20代も半ば、相変わらずの日々だったが、
華やかな世界で常に新しいプロジェクトへの挑戦、収入も多くなり、
プライベートがほとんど無くなるくらい忙しくなった。
そして昔からのサーファー友人ともほとんど会う機会も話す事も無くなっていった。

そんなある夜、
私がDJを担当していたクラブに幼稚園からの付き合いで私の1年後にサーフィンを始めた親友が
知り合いのサーファー同級生数人と遊びに来たのだ。
しばらくすると酔いもまわってか非常に楽しそうにはしゃいでいる、
いや、騒ぎちらしている…

だが、その時私にはその親友サーファー達が凄く楽しそうに見えた。

正確には羨ましく思えたのだ。

少し昔を思い出す。

お金はなかったがサーファーとして過ごしたあの日々、太陽、波、夏のあの匂いを…
あの頃は何をやっても笑っていた、何を見ても感動した、
そしてサーファーとして出会った仲間との大切な時間…
少し懐かしく、あの頃が羨ましく思えた。
他のお客様に迷惑だからと私が促すとその親友は…
「お前最近なんか顔つき変わったな、
昔はバカばかり言っていたのに最近は気取ってクールぶってるぞ、友達いなくなるぞ」
「今のお前を見てると全然楽しくなさそうだ」
そう言われたのだが、私はその一瞬昔の自分を思い出し気を取られたのだが…
「今は違う、もう昔の私はいない」
「世の中お金が全てだ、お前らみたいに暇さえあればサーフィンばかりして馬鹿騒ぎしてる暇はない」

その言葉に親友は寂しそうな目でじっと私をいつまでも見つめていたが、それをよそに私は仕事に戻った。
けれど…何かが充実してないのは確かだった。
仕事は忙しく休みもなかったが楽しかったし、いろいろなビジネスの楽しさも学んだ。
決して不満があったわけでもない。私はこの会社に入社して大人の階段を確実にのぼって行ったのだから。

これが今の私の人生だ、みんな大人になる。
もう子供ではないのだと自分に言い聞かせた。
だが日増しに親友の言葉が気になりだす…
ふたたびあの頃の熱い何かが私の中で芽生え始めた瞬間だった。
子供のころから一緒で、バスケットやサーフィンを一緒に切磋琢磨してきた親友の言葉は
知らないうちに私の心に突き刺さっていたのかもしれない。

そしてしっかりとあの頃の事を思い出す。
私はくだらない理由や言い訳で好きなサーフィンやめてしまった。
サーファーにもどる事はもうかなわない夢かもしれない。
出来る事ならもう一度あの頃に戻りたい。


やっぱりもう一度サーフィンがしたい…


決意が固まった時、気がつけば7年半もの月日がたっていた。
リップは出来るかな?
いや…テイクオフは出来るかな?
いろいろ模索したが親友には内緒でとりあえず道具を揃え始めた。

そして誰も入らないようなポイントで7年5ヶ月ぶりのサーフィン…
かなり勇気が必要だった。

7年半ぶりのサーフィン。
不思議とその時のことは思い出せないのだが、凄く嬉しかったのだけは思い出す。
波の音
ワックスの匂い
ウェットスーツの心地よさ
自然からの恩恵は仕事の忙しさや、悩み、煩わしい事などその一瞬全てを忘れさせてくれた。
ブランクが長かったおかげで
テイクオフどころか波待ちやパドリングもまともに出来なくなっていたがかなりの満足感だった。
海から上がり帰りの車の中で1人で誓った。

だいぶ遠回りしちゃったけどもう絶対にやめない。

そして逃げないと。

それから私の生活はかなり忙しい日々になっていった。
会社もその頃には管理する立場になったせいもあり、とにかくほんの少しでも時間があるかぎり海に入った。
以前のように計画性が無くてはいけないと、しっかりプランも組んだ。
出来るかぎり毎日海に入る事
衰えた身体の筋トレを毎日する事
以前のレベルまで2年以内に戻す事
3年後にはコンテストの上級者クラスで入賞する事
それが復活当初の目標だった。
そんなある日、とあるポイントにサーフィンをしにいった私は意外なトラブルと出会いをする。
ローカルの邪魔をして怒られたのだ。

男という生き物は一度ケンカをすると凄く分かり合えるものでそいつとはすぐ意気投合した。

僕がサーフィンを始めたいきさつと全く一緒だった。

そう、そのポイントは私がサーフィンを始めたきっかけになったあのポイントだった。
私は二度も似たような境遇に運命を感じれずにはいられなかった。
そいつは学年こそひとつ下だったが、彼が今後の私のコンペティター人生を大きく左右した人物なのである。
その後そいつとはよくつるんでサーフィンをしたりコンペティターとしての駆け引きなど、
サーフィンをやめる以前よりたくさん学び教えてもらった。
さらにそいつは越後将平プロと親友という事もあり、私は将平プロとも以前よりも親睦をふかめていった。

時間があれば酒を交わし、3人でよく語り合った。

さらに幸いして昔の大先輩、小嶋氏の息子でアマチュア時代から有名だった小嶋大地、翼、海生の小嶋ブラザーズ、松岡慧斗(翼、海生、慧斗は現在JPSA公認プロ)などの実力派コンペティターと一緒によくサーフィンをした。
当時まだ運転免許がなかった彼達を迎えに行ってはよくサーフィンに出掛けた。
復帰して1年たつ頃には私は自分が思ったより早く上達していった。
私の第二のサーフィンライフは最高の先生達に囲まれ最高に楽しくなっていったのだ。

そして私の第二のサーフィンライフに充実していたある日、私に人生の転機が訪れる。
通っていたサーフショップが閉店する事になったのだ。
なんとそこのオーナーは今後新たなショップの継続を私に託したのだ。
なぜ私に?
7年ものブランクがあって業界からは一度消えた人間…
以前はサーフィンやっていたとはいえ歴史も経歴も実績もないうえにサーフィン復帰して1年そこらの私に…
なぜ私に…
私は悩んだ。悩んだけど逃げ出したあの頃を思い出すと答えは決まっていた。
サーフィンから逃げて今の会社に就職した。
サーフィンの神様がいるのなら、多分サーフィンをやめた私に罰を与えたのだろと思った。
けど、もうサーフィンからは逃げない。
オーナーがお店をやめる理由はいっぱいあったし問題もあった。

実際問題、簡単なことではなかった。
でも私はそのいろいろな理由や問題を全部受け継ごうと3日で返事を出したのだ。

「私が新しくショップを引き継ぎます。」と…
今思えば思い切った行動だった。
私は7年務めた会社に辞表を出し、久しぶりに無職になった。
だがまた私は意外な転機に遭遇する事になる。
以前からサーフボードでお世話になっていた今須伸政プロと共にショップを始める事になったのだ。

新たに就職したのはサーフショップ。

私はそこで3年間しっかりショップ経営のノウハウ、お客様に提供する道具の重要性、
そしてサーファーとしての人生観などサラリーマン時代とはまた違う生きた商売を徹底的に学んだ。
そして2005年、今須伸政プロのショップ、タスクサーフボード仙台店 FCオーナーとして独立。

それからの私はお客様と同じ目線を信条に、
お店を盛り上げしっかりサーフィンの土台とショップ経営の土台をしっかり作っていった。
幼稚園からの親友もショップライダーを務め、
また1人、また1人と同じ夢を見るショップライダーも増えていった。


私はサーフィン復帰当初の目標も怠らずやった。

毎日海に入って練習し、筋トレも毎日1時間やったおかげで
58キロだった病弱な体型から68キロの健康的な体型に戻った。
そしてサーフィン復帰してから3年後、ようやくコンテストに復帰する。

地方の大会ではあったが上級者クラスで3位入賞。

やっとここに帰って来たんだ!!

これが俺の本当の姿だ!!!

じつに10年ぶりのコンテスト復帰だった。

そしてお店もサーフィンも軌道に乗り始めた2007年NSAポイントランキング制度が導入されたのだ。
(日本サーフィン連盟 ポイントランキング制度の詳細はNSA HPをご覧下さい)
サーフィンもコンテストもだいぶ遠回りした。
これで良かったんだ。
もう不安になる事も心配する事もない。
しっかりお客様とサーフィンして
たくさんサーフィンして
たくさんコンテストに出て
全国にたくさんの仲間を作るんだ。
そして必ず勝ってやる。


メンクラスの経験がなくシニアクラスからのデビューだった。
果てしない挑戦の始まりだ。
何十年かかってでもいつか日本の頂点に立ちたい…

いろいろあったけどサーフィンにコンテストに完全復帰した。
生きてて最高な気分だった。


そしてお店のお客様にも、ショップのライダー達にも、地元のローカル先輩達にも、
サーフィンをまた一から楽しませてくれてサーフィンを教えてくれた仲間にも、
当時の彼女からも、親からもみんなから応援され理解され私の果てしない挑戦が始まった。
第二章 完

第三章は、全国の強豪選手との出会いから挑戦する事の素晴らしさ、苦難、勝つために
大切なスポーツの基本でもある"心 技 体 "などがテーマです。
お楽しみに。

surf column佐藤 弘一朗
1回目 2014/12/17 『リアルコンペティターへの道』
2回目 2015/1/7 『周りの理解と土台作り』
3回目 2015/1/21 『心・技・体、戦友との出会い、苦難、挑戦する事の素晴らしさ』
4回目 2015/2/4 『NSAサーキットツアー2014、苦難 苦戦 地元仙台での開催グランドチャンピオンゲームズ出場枠獲得
 
 
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