interstyle magazine
 COLUMN
surf columnSURF COLUMN 2015/2/4  

佐藤 弘一朗
1973年 11月17日生まれ。
15歳でサーフィンを始めるが20歳の時あることを機会にやめてしまう…
またあることが機会で27歳の時にもう一度サーフィンを最初からやり始め
現在サーフショップを経営する傍らNSAサーキットに積極的に参戦中。
コンペティションは勝つのが難しいのでは無く心からコンテストを楽しむのが難しいと
考える現在41歳のアマチュアコンペティター。
2013.2014.
ALL JAPAN SURFING GRAND CHAMPION GAMES シニアマスタークラス出場権獲得
職業
タスクサーフボード仙台店 FC仙台店代表
REVOLVER トラベルサポートギア代表
スポンサー:RISING SUN surfboards/ FLAVOR6 wetsuits/ Black Flys eyewear/
VESTAL/ DESTINATION/ BLACK RACE/ (有)カービング/ IN DEPTH/ REVOLVER
ブログ http://revolver1.exblog.jp/
1回目 2014/12/17 『リアルコンペティターへの道』
2回目 2015/1/7 『周りの理解と土台作り』
3回目 2015/1/21 『心・技・体、戦友との出会い、苦難、挑戦する事の素晴らしさ』
4回目 2015/2/4 『NSAサーキットツアー2014、苦難 苦戦 地元仙台での開催 グランドチャンピオンゲームズ出場枠獲得

『NSAサーキットツアー2014、苦難 苦戦 地元仙台での開催グランドチャンピオンゲームズ出場枠獲得』

いよいよ2014年度もNSAサーキットツアーが始まる。
毎年の事だが初戦が開催される春までの間は体重も増加し始め
2月くらいから減量も兼ねて毎年トレーニングを始める。
同世代の選手ならお分かり頂けると思うのだが、
少し気を抜いて暴飲暴食をすればあっと言う間に5キロ増は間違いない。
私の場合は2月から食事制限を兼ねたトレーニングを開始し、
3月からは毎日の練習時間を通常より多くする事が毎年の課題だ。
だがその頃プライベート環境があまり良く無く減量にも練習にも専念出来ていなかった。
ただの言い訳にしかすぎないが、例年に比べると全く自分自身の管理に甘かったのだ。
そんな中、藤沢支部さん主催の公認大会当日を迎える。
毎年4月に行なわれるNSAサーキットツアー初戦である。
通常は各年齢に応じたクラス編成なのだが、
この時はメンシニアクラスと言うメンクラスとシニアクラスの合同クラスであった。
本音を言えば体力に自信のある若者とのヒートクレジットは少々苦手である。
(メンシニアクラス 1971年生まれ~1995年生まれの男子)
さらにマッチアップしたのは地元若手の中川雅崇選手、
なかなか手強い相手で歯が立たず初戦にも関わらず私は予選敗退の洗練を受けてしまった。
 
この日はメンクラスの選手が活躍を見せ、
同じシニアクラスの戦友、小崎選手や東峰選手、他のシニアクラスの選手もR2で敗退してしまった。
自分の実力を出し切って負けたのなら納得もいくのだが、
自分の力の10%も出せず負ける悔しさは計り知れないものである。
自分に負けるというのはまさにこの事だ。
私のメンタルも体力もまだまだ鍛えがいがあるという事だ。
そんな中、同じ地元のメンクラス我妻雅敏選手がメンシニアクラスで準優勝という成績を収め、
私は自分の不甲斐なさをさらに痛感させられた。
私はプライベートの変化から何か違う自分を探していたのかもしれない。
環境が変わると言う事は以外と面倒な事である。
ここでは詳しくは書かないが、
いつも支えてくれていた人が突然いなくなる心の寂しさはいつの時代も世代関係なく辛いものだ。
だが私はその後、その辛さを自分の力にしていった。

自分を取り巻く環境の全てが自分。
コンテストに勝つも負けるもたまたまは無い。
支えてくれる仲間、家族、恩恵を受ける全てが自分。
嬉しい事も楽しい事も辛い時も悲しい時も何事も偶然ではなく必然なのだ。
全ては自分次第で今が変わる。

だから不安定な気持ちの自分に立ち止まっている時間はなかった。

それからの私はその大会と自分の不甲斐なさの悔しさをバネに日々練習に没頭した。
心の穴を埋めるかのように朝は5時半に起きて練習量を増やし
ショップが終われば早めに夕食を取り9時半には就寝。
ほぼ毎日こんな生活を繰り返した。
昨年は最終戦のグランドチャンピオンゲームズが地元開催という事もあり
例年よりも気合いをいれなければと思った。
そして5月、全日本級別選手権大会が伊豆の白浜で開催される。

その頃には前半の自分からは完全復帰し、心、技、体、全てにおいていい状態だった。
なんでも落ち込んだり悩む時間は1日、昔からそう決めている。
我ながら立ち直りが早いのは長所である。
レベルの高いその大会は今までにないくらいのスモールコンディションで
テイクオフすら出来ない選手も続出していた。

私は何とかR1を勝ち上がりR2を地元白浜ローカルでシニアトップランカーの進士選手と戦う事になる。
彼とは学年が同じ。
彼はコンテスト中にいつも私のテントにやって来ては私の集中力を掻き乱してかえっていくのだ。
 
だがこれが彼の作戦のひとつでもあった。
さんざん彼の話術でムキにさせられた私はR2で彼に妨害をしてしまい敗退してしまった。
戦いに平常心はつきもの、熱くなっては負けである。
いつもメンタルの師匠、金子氏に言われている言葉である。
テクニック、メンタルとひとつ上をいく進士選手に私はひとつの作戦を考えた。
今度マッチアップした時は私から早い段階で彼に仕掛ければ良いのだ。

攻に対して威を発っするが守に転じて威を失う。

彼は私の大好きな選手の一人である。
こういった作戦を試せるのも何度も修羅場をくぐり抜けた戦友だから出来る事でもある。
年々各クラスのポイントランキング挑戦者が盛り上がりを見せ
毎年グランドチャンピオンゲームズの出場権を得るための獲得ポイントが上がってきている。
年間全国にて多くの公認大会が開催されて、
トータル7戦分のポイントランキング上位者だけが
グランドチャンピオンゲームズに出場権を得る事が出来るのだ。
シニアクラスは毎年400名を超える挑戦者の中で上位24名までしか出場枠を得る事が出来ない難関、
最低でも8000Pが必要である。
私は初戦を含むこの時点で1800Pしかなく最終戦への出場権を得る事に不安があった。
中には4、5戦出場しただけで最終戦の出場枠を手にいれる実力派選手もいるが、
私はそんな悠長な事は言っていられない。
最終戦の出場権を得るためだけが私の目標ではない。
一回一回の試合で勝ち上がりファイナルで優勝を目指すのが目的である。
まずは一戦一戦を精一杯に戦う事、
そして何があっても諦めない精神、
私には何事においても大事なテーマである。
そして6月、地元で毎年開催される全日本サーフィン選手権大会の支部予選である。
もちろんだが、この予選で勝ち上がらなければ全日本に出場する事は出来ない。
全日本での獲得ポイント抜きで
最終戦のグランドチャンピオンゲームズの出場枠を得る事は相当に難しい事である。
中には全日本抜きで最終戦の出場枠を得る選手もいるが、かなりの少数…
なんとしてでも勝たなければいけない。
予選を勝ち上がる自信はかなりあった。
絶対に全日本に出場できるものと疑いひとつ持たなかったのだが、なぜか不運は訪れた。
ほんの0.05ポイントの差で出場権を逃してしまったのだ。
なぜかすごく納得が行かなかったが、負けは負けである。
どんなに自分に取り巻く環境や空気が不利なものでもそれが自分に対する現実である。

私はその時腹をくくった。
全日本サーフィン選手権大会のポイント無しでグランドチャンピオンゲームズの出場権を絶対にとってやる。
悔しい思いなら誰にも負けない、
絶対に勝ってやる。

支部予選を通過出来ない悔しさが、その後の私に予想以上の力をくれたのだった。

それからはたくさんの公認大会に参加した。
地元開催の北日本サーフィン選手権大会では
全国では類をみないシニアマスタークラス編成の80名エントリーだった。

私の所属である宮城仙台支部ではこの時期イベントのオンパレードで毎年賑わいを見せている。
2014年度の開催は見送られたが、
仙台新港レジェンドローカルの鈴木達氏が主催する仙台新港マスターズサーフィン選手権大会や
北日本前日にはNSAロングボードメンクラストップランカーの横山浩太が陣を取る
シングルフィンオールスターズ仙台が開催され、私はMCと運営役員もこなした。

いつも選手ばかりの私だが、役員側から選手を見る事も勉強になり毎年楽しみなイベントである。
北日本サーフィン選手権大会の前夜、豊田師匠の発案で多くの選手が集まり作戦会議が開かれた。

また佐藤秀男先生のサーフトレーニング仙台会場も開催された事もあり、大会当日はかなり調子がよかった。

何故かこの大会だけは思うように波に乗れ、全て1位通過で勝ち上がった。
 
結局の所はセミファイナルで敗退だったのだが、当店ライダーの佐藤克哉選手がファイナルに勝ち上がった。

自分は惜しくもお店の仲間がファイナルに行ったのが私の中では満足だった。
その後もセミファイナルで負ける事が多くなかなかファイナルまではいけなかったが
確実に上位ポイントを獲得していった。
いつしかセミファイナルが自分の中で大きな壁になっていった。
安定してある程度の位置まではラウンドアップできるのだが、
セミファイナルになると力が入ってしまうようだ。
そんな悩みとランキング上位に入らなければと追い込まれれば追い込まれるほど、
悔しければ悔しいほど私の闘志は勢いを増した。
以前、荻原選手が言ってくれた言葉。
「あなたは追い込まれた方が力を発揮する人、だから最後の最後まで絶対に諦めないで」
「大丈夫!チャンスは必ずくるから」
いつもは私が荻原選手に伝えている言葉。
だが、私は絶対に諦めないと言う本当の意味を荻原選手から気付かされたのかもしれない。
口で言う事は簡単だ。
頭ではわかっていても実際に追い込まれたヒートの現場でこなす事は難しい。
大切なのは、自分自身を信じる事なのだ。
その後のコンテストで少し戦略が変わってきたのが自分でもわかった。
ヒート時間残り1分前、もしくは10秒前に逆転で勝ち上がる事が多くなった。
荻原選手の言葉は間違いなく私の大事な戦力になっていたのだ。
私は普段の生活の中での困難も不利な状況の試合も
最後の最後まで諦めずに自分を信じ残り1秒まで集中する事を心がけた。
ツアーは後半戦に突入する。
地元の大先輩で何度も全日本サーフィン選手権大会では優勝している高橋誠選手や
全国でもトップアマチュアの熊谷選手、村上選手、目黒選手、我妻選手、太田選手、
当店ライダーの佐藤選手や大石選手やみんなで大会に参戦した。
地元の宮城仙台には実力派の選手が多く、
こうやって毎年後半戦は一緒に行動を共にする事が凄く勉強になるからありがたい。
 
その中でも高橋誠選手には凄く勉強になる部分が多く、
同じコンペティターとして見ても素晴らしいスキルをもった選手である。
出場する試合ほとんどがファイナル進出である。
 
私が師と仰ぐ豊田氏や世界選手権出場経験を持つ坂本選手や小林選手、磯部選手などは
マスター4強と呼ばれマスタークラスではほぼ無敗の四天王である。
高橋選手はグランドマスタークラスだが、
マスターグランドマスタークラスの編成クラスでもこの四天王メンバーに割って入る程の実力をもっている。

若い選手から学ぶ事もたくさんあるのだが、
私はマスタークラスやグランドマスタークラスの選手から学ぶ事の方が多い。
日々仕事をこなし家族を養い年齢や経歴を重ねて来た先輩達のファイティングスピリットは
大変素晴らしいものである。

シニアクラス同様、
後半戦のマスターグランドマスタークラスも熱い展開が繰り広げられているのは言うまでもない。
後半戦も9月、初戦と同じ湘南藤沢支部さん主催の公認大会が開催される。
前日に宮崎県の公認大会からそのまま羽田空港まで向かった。
親切にもシニアクラス戦友の西田選手が迎えに来てくれたのだ。

彼の自宅で作戦会議を開く。
初戦で無残にも予選敗退した場所である。
だが私はこの大会に自分の何かを乗り越える為の大事な試合と慎重に取り組んだのを覚えている。
初戦の時の自分の気持ちに勝ちたかったのだ。
間違いなく初戦の気持ちとは180度違う自分がいたのだ。
開催当日、波は脛~膝とかなり厳しいコンディション、そしてまたメンシニアクラス編成だ。
だが、初戦では吹いていた臆病風が全くなかった。
その時のランキングはグランドチャンピオンゲームズ出場枠内にはいたものの
ここから先は予選敗退なんて事があれば間違いなく最終戦の道は絶たれる。
絶対に負ける訳にはいかなかった。
後半戦は上位ランキング24名入りを目指し確実に下から狙って来ているのだ。
前半戦に全く出場してなかった横浜の石田選手や湘南西の宗政選手などの
指折りトップランカー選手達がまだ下のランキングにいたのだから驚きだ。

余談だが、石田選手はこの数日前にメールでラブレターをくれたのだ。

「今からこういちろう君を抜きます」

昨年度グランドチャンピオンゲームズを制覇した彼だからこそ言える言葉だ。

私もいつか言ってみたい台詞である。

R1のスタンバイ時間に私は10回以上深呼吸をした。別に緊張していた訳ではなかった。
だだ何と無くだった。
メンクラスのランキング上位者とのクレジットだったが無事にR1を2位で通過。
4月の初戦では体が重く全く集中できなかった自分とは比べものにならなかった。
体が軽い、いや、気持ちが軽かったのかもしれない。
負ける気は全くしなかった。
R2では静岡の青野選手と湘南西の鈴木選手。
特に青野選手には一度ファイナルでコテンパンにやられている。
絶対に負ける訳にはいかないとかなり気合をいれた。
二人とも実力のある選手だったが、運良く1位で通過できた。
そしてセミファイナル、

メンタルが絶好調だった。
セミファイナルは身体の軽そうな細身のメンクラス上位ランカーの選手が2名、
そしてシニアのくせに細身で身体が軽くしかもローカル西田選手とのクレジットだった。

だが、私はまた自分の悪い癖がでてしまう。
負ける気がしなかったメンタルはいいのだが、乗れば勝てるという自信過剰な考えを捨てきれなかったのだ。
西田選手の作戦は身体の軽いメンクラスの選手2名相手に積極的に波を奪い合うと言うのだ。
身体の軽い西田選手ならではの作戦である。
なぜか強気な彼はそう言うと若いメンクラスの選手が波を待つ左側に挑戦しに行ったのだ。
私も比較的波の入る左側に行こうと思ったのだが、
いつセットが入るかわからないワンピークのポジションに身体の軽い彼等相手では勝ち目が無いと
一人右側のセットを待つ為に一人陣取った。
私には好都合だ、左側のピークに3名で潰し合いをしてくれれば、右側の私のピークがガラ空きだ。
私は焦る事なく右側でソロ活動に専念できるからだ。
以前、豊田氏に言われた言葉が頭をよぎる、
「相手から波を奪うには良いポジションから相手を閉め出せ、波を奪うのではなくポジションを奪え」
だが私は1日を通して時間を追うごとに小さくなりテイクオフすら厳しい波にひたすらセットを待ち始めた。
いつくるかわからないセット…
時間は刻々と無くなっていく…
小振りな波を掴むが感触が悪い…
やはりしっかりしたセットに乗らなければ勝てない。
そしてようやくセットを掴み確実にコンプリート。
感触があった。

よし、もう一本だ。
集中力がピークに達していた。

もう一本同じ波に乗れば間違いなくファイナルだ。

残り時間が2分を切る…

だがその時、西田選手が右側でセットを待つ私の方にやってきた。

「あにき~自分ばっかりセット乗ってズルイっすよ!」

私の作戦が見抜かれ西田選手が作戦変更でこちら側に来たのだ。

その間にメンクラス選手の1人がしっかり波を掴んでコンプリートする。

そしてメンクラスのもう一人の選手も作戦変更で右側にやってきたのだ。

お分かりだと思うが、ほぼフラットに近い競技エリアに右側3名、左側1名と言う状況にかわったのだ。
私はすぐ左側にポジションを移動したが無情にもそこで試合終了。
結果はセミファイナル3位敗退。
たった0.3pの差、
またしてもファイナルにいく事はできなかった。
だが私は負けた悔しさより初戦の屈辱感を味わったこの場所で戦い全力を出し切った自分に満足していた。
たしかに試合は勝たなければ意味がないかもしれない。
確かに試合には負けた。
でも自分に勝てた気がして嬉しかったのだ。
サーフィンが不調だったり、コンテストでなかなか思うように勝てないそんな時はほとんど自分自身が敵である。
最高のライバルは自分の心の中に潜んでいるのかもしれない。
そして秋も深まりいよいよ公認大会も残りわずかになった。
平砂浦での公認大会、吉浜での公認大会と参加するが、どちらもR2敗退と
最終戦グランドチャンピオンゲームズ出場権獲得にかなり厳しい位置にランクが落ちしてしまう。
最終戦グランドチャンピオンゲームズ出場権はトップ24名まで、
圏外こそ免れたが、その時のランキングは23位だったのだ。
そしてそのすぐ下には福島支部のエース宍戸選手や前田選手、大阪の栗本選手、湘南西の庄司選手、
そして千葉西の松下選手などがすぐ下から狙っていた。
簡単には勝たせてはもらえない選手ばかりである。
そして公認大会の最終戦のBLUE ART DRIVEプレゼンツ 白浜マリーナカップの開催を迎える。

下からくる選手のポイントアップを考えれば
最低でもクォーターファイナルまで勝ち上がらなければ
グランドチャンピオンゲームズ出場は出来ないと豊田氏に告げられた。
泣いても笑ってもこの公認大会最終戦で全てが決まる。
だがこの時も私は負ける気がしなかった。
決戦前夜、豊田氏にしっかりと意思を伝えた。
「絶対に負けません。そして絶対にグランドチャンピオンゲームズの出場権をとってみせます」
最終戦とあって全てが強豪選手、
ラウンド回数も多くグランドチャンピオンゲームズの出場枠獲得までは
クォーターファイナルまで最低2回は勝たなくてはならない。
だが、私はクォーターファイナルを狙う訳にはいかない。
出る以上ファイナルに行き優勝する事だけが目標だからだ。
二日間開催の公認最終戦で
コンディションは台風の影響で頭オーバーから頭半のジャンクコンディション、さらにオン風の爆風である。

他の選手の中にはコンディションに不満の声も聞こえたのだが、
常にサイズのある仙台新港で練習をしている私にとっては得意分野のコンディションである。
そしていよいよR1
マッチアップは湘南西の庄司選手と谷口選手、千葉西の大和選手のクレジット。
庄司選手もまたグランドチャンピオンゲームズ出場権を獲得する為にこの最終戦に出場していた。
負ける訳にはいかない、
私はホーンと同時にセットを掴み、その後も確実にセットを掴んだ。
ジャンクコンディションに手こずったが、R1はしっかりラウンドアップできた。
先ほども述べたが、この日の公認大会最終戦は低気圧からの影響で頭半サイズまでアップし、
爆風オン風で放送もほとんど聞こえなく、競技スタート、
終了は本部テントのフラッグでしか判断する事が出来なくかなりアドベンチャーな感じであった。
だが、どんなに不利な状態でもしっかり集中し判断しなければならない。
そしてR2。
R1を勝ち上がってきた静岡の青野選手と大阪の栗本選手とのクレジット。
青野選手はランキング上位者で最終戦グランドチャンピオンゲームズ出場は確実であったが、
私も栗本選手もここを勝ち上がらなければ意味がない。
青野選手と栗本選手が少し手前の波を掴む…
青野選手が確実にスコアを伸ばす…
私はずっとセットを待つ…
そして栗本選手が掴んだ波がアベレージスコアを叩きだす。
私はかなり追い込まれた。
時間はまだまだある…
私はじっとセットを待つ…
その時形のよいセットがようやく入った。
遅れながらようやくセットを掴んだ。
感触があった。
そしてまたセットを掴む。
頭半サイズのゲッティングはハードだったが、ホームポイントの仙台新港にくらべれば楽であった。
ゲッティングの早さと掴む波の選択がこのヒートの勝敗を決めた。
栗本選手はだいぶハードな状況にゲッティングで体力を奪われ1本しか波に乗れなかったのだ。
そして青野選手と私がクォーターファイナルへと勝ち進んだ。
この時点でグランドチャンピオンゲームズ出場枠の取得はほぼ確実だった。

だが、私はそれどころではなかった。

クォーターファイナルは
地元伊豆のローカルでシニアクラストップランカーの井出選手と進士選手とのマッチアップだったからだ。
この実力派選手に勝ちたいと言う気持ちより、以前の作戦をまた試せるチャンスがきたのだ。
私は急に楽しくなった。

今日も私の方から仕掛けよう。

もちろんヒートが始まるずっと前から仕掛けるのである。

普段は彼の方から言葉匠に仕掛けてくるのだが、今回も積極的に彼に仕掛けた。
実はツアー中盤戦の公認大会で一度彼とマッチアップしたのだが、
その時は作戦成功で私は彼に勝つ事ができたのだ。
今回はさらにスパイスを効かせて仕掛けた。
その作戦が勝ちたいと気持ちを数倍に意気込ませてくれた。

仕掛けたという具体的な作戦内容はあえて説明はしないが、私の作戦は大成功。
私はこのクォーターファイナルを井出選手と2人で勝ち上がる事ができたのだ。
まさに、
攻に対して威を発っするが守に転じて威を失う。
である。
そしてこの時間帯にはグランドチャンピオンゲームズに出場権を得た選手と
残念ながら出場権を掴む事ができなかった選手が非公開ながら確定した。
そして最終戦グランドチャンピオンゲームズ出場トップ24名の選手が出揃う。
私とR1で戦った湘南西の庄司選手は
ランキング外のポジションから見事グランドチャンピオンゲームズの出場権を手にしたのだった。
そしていよいよセミファイナル
静岡の山口選手、伊豆の鈴木選手、そして親友の小崎選手のクレジット。
ここを勝ち上がればファイナル!
私は今日こそは行けると気持ちが踊った。
だがそこで思いもしない事件が私に襲いかかる。

私だけゼッケンの受け渡しが遅れたのだ…
本来、選手が着用するゼッケンは
ゼッケンカウンターと呼ばれる場所に管理され係員が大会進行に合わせて選手に受け渡す。
そして選手は競技終了後は速やかにゼッケンカウンターに返すのが決まりである。
だがこの日は低気圧の影響から終始強風、
放送も聞き取りずらく選手も大会運営スタッフも大変だったのは間違いない。
実際にクォーターファイナル戦ではさらにサイズアップし、
運営側でヒートスタートをしない事、放送が聞こえない事などを考慮し、
井出選手も進士選手も私も一度海から上がりふたたびゲッティングをしたというアクシデントもあった。
そんな事からおおよその事では動揺はしない。
だが、ゼッケンがもらえないと言う事は重大事件である。

私以外のセミファイナルの選手は既にゼッケンを着用し、開催ポイントでスタンバイしている状況であった。
私は焦った。

ゼッケンカウンターは3名のスタッフがいた。
その中の1人の若い女性スタッフが何度も私に言う。
「すみません」
「本当にすみません」
私はそんな彼女を見て一瞬で気持ちが落ち着いた。
けっして彼女が悪い訳じゃない。
こんなコンディションの運営である。
選手も運営スタッフもジャッジもみんな一生懸命なんだ。
そしてゼッケンを受け渡してもらえるまでの間、私はその彼女ともう1人の男性係員と世間話をした。
本来ならばいてもたってもいられない状況だったが、私はどうしょうもない事にもがいても仕方ないと思った。
彼女は私に1枚のポスターを見せてくれた。

「これ、私が描いたんです」
それはこの公認大会最終戦 BLUE ART DRIVE 白浜マリーナカップのポスターだった。
彼女は本大会のスポンサーであるBLUE ART DRIVEでアートデザインの仕事をしているみたいだ。
私は彼女の描いたポスターを見ているうちにさらに気持ちが落ち着いた。
絵が上手いと言うより絵からこの大会の本来の雰囲気が伝わり見れば見るほど素敵な絵だった。
実際の会場は荒れ狂う波のコンディションで
強風により慌ただしさが見え隠れするこの場所で一瞬時が止まったような陽気で素敵なポスターだった。
焦りはすっかり無くなり異様な落ち着きさえ出てきた。
そしてようやくゼッケンが届いた。
そんな私に静岡の鈴木選手と湘南西の磯部選手が頑張れと声をかけてくれた。
よし、いくぞ!
ビーチへ全力で走る私に当店のライダー大石選手が落ち着いてと声をかける。
だがもうすでに他の3名はゲッティングアウトしている。
後半はさらにジャンクコンディションになりゲッティングにはそれなりの時間がかかる。
西の日差しが眩しく競技進行フラッグの確認も出来ない。もちろん風の影響で放送も聞こえなかった。
だけど焦りは全くなかった。
試合はもう始まっているはず…
時間のない私はゲッティングアウト最中にマキシマム2本で勝負を決意する。
1本の試技を終えた伊豆の鈴木選手がもう始まってますと教えてくれた。
私が沖に出た頃には残り時間は5分を切っていたみたいだ。
そこそこ形のいいセットを掴む…
死に物狂いに沖にパドリングで戻る…
疲れはピークに達していた…

ここで働けなければ俺はただの大馬鹿野郎だと自分に言い聞かせた。

進行フラッグはやはり見えない…
残り数分か数秒かもわからないままバックスコアの波を探すがそこで小崎選手からヒート終了を告げらる…
試合終了である。
1本しか乗れなかった。
セミファイナル4位敗退。
だが悔しかった事よりこの大会に全てを出し切れた自分に満足だった。
追い込まれたランキング、
グランドチャンピオンゲームズ出場枠取得の不安、
ネガティブに考えたらきりがない状況の中で相手に勝つ事より自分に勝てた事が何より嬉しかった。
ふとあの言葉を思い出す。
「あなたは追い込まれた方が力を発揮する人、だから最後の最後まで絶対に諦めないで」
この大会はプレッシャーやアクシデントやいろんな事があった。
そしてファイナルには行くことはできなかったけど
私の心はこの会場の慌ただしさとは真逆に達成感で晴れわたっていた。
今年も無事にグランドチャンピオンゲームズ出場権を得た。
地元仙台での開催に私は今ひとつ気を引き締め
ファイナルへ進んだ小崎選手にエールを贈り伊豆の会場を後にした。

そしていよいよ本当の最終戦、
オールジャパングランドチャンピオンゲームズ開催が迫る。
私は伊豆戦の後も練習に明け暮れた。
 
かなりの難関だが地元仙台での開催に絶対にファイナルに行くと意気込んだ。
そんな中、マスタークラス四天王の坂本選手と小林選手が視察を兼ねて練習に来るとの連絡が入る。
 
今の私には最高の先生達だと2日間みっちり彼らと練習をした。
その後日、師匠の豊田選手も練習に来仙し、しっかりとコーチングしてもらった。
そして決戦前夜も豊田選手や坂本選手や小林選手そして広島の門口選手と作戦会議を念入りに行った。

そしてその夜は珍しく私の携帯が何度も鳴り響いた。
地元仙台新港のローカルの大先輩達が何人も何人も応援の電話をくれたのだ。

「みんな応援してるからな、絶対に負けるなよ」

昔から仙台新港を守って来た大先輩の声援は涙が出るほど嬉しかった。

そして心、技、体、共に最高のコンディションでグラチャン開催の朝を迎える。
  
サイズは頭オーバーから頭半、私には最高のコンディションであった。
絶対に勝ってやる。
仙台新港で好き勝手はさせん。
これがこの大会のテーマだった。
そしてR1
伊豆の井出選手、茨城の寺門選手、千葉の志村選手とのクレジット。
開催ポイントも競技エリアもいつも自分が練習している場所、絶対に負ける気はしなかった。
だが、さすが最終戦だけあって井出選手も寺門選手も志村選手も乗りまくっている。
私もしっかりとセットを掴むがフィニッシュをインコンプリートしてしまう。
だが焦る事なく形の良いレギュラーを掴みしっかりメイクする。
 
後半、世界選手権出場の経験を持つ寺門選手がグットスコアーを叩きだす。
井出選手、志村選手も猛追撃を見せるがいい波を掴む事が出来ず、
寺門選手と私がクォーターファイナルへと勝ち上がった。

あと二つ…
あと二つ勝ち上がれば…
私はしっかりその時ファイナル進出を意識した。
今日はいける!
いけるぞ!!
昨夜に応援の電話を頂いた先輩達も会場に駆け付け応援してくれている。

絶対に負けるわけにはいかない。

そしてクォーターファイナル。
福岡の古賀選手、静岡の青野選手、そして地元の加藤選手とのクレジット。

かなり強烈な選手達である。
だがこの際メンバーは関係なかった。
この時こそプレッシャーも焦りも何にもなかった。
全国でもトップランカーの選手相手になぜか勝つ気満々であったのだ。
今思えば何故にあれほど強気だったのかはわからないが負ける事は考えていなかった。
まず私が先手を打った。
たまにしか来ない右側のレギュラーを二つ前のヒートからしっかり時計で測っていたのだ。
そしてしっかり2マニューバを入れメイクするが実況放送ではアベレージスコアだった。
右側には私1人、中央には青野選手、左側のグーフィーを加藤選手と古賀選手が狙う。
私は青野選手から波を奪いバックスコアーに入る波を掴むが感触が甘い…

多分3.0Pくらいのスコアーと予測し、ひたすら波を探す。
右側の良いレギュラーのセットが入ってくるには5分以上待たなければならなかった。
加藤選手は左側から動く事はなかったが、私は青野選手と古賀選手を絶対に右側には入れなかった。
師匠の豊田選手の言葉がまたよぎる。

「相手から波を奪うには良いポジションから相手を閉め出せ、波を奪うのではなくポジションを奪え」
絶対にこのポジションは渡さない。
私は青野選手と古賀選手が右側のレギュラーを狙いに来た時は奥に奥にと周り積極的に閉め出した。
試合時間は残り3分を切る…
そして実況放送から現在の順位がコールされる。
私が1位のポジションだ。
2位と3位のポジションにいる古賀選手と加藤選手は右側のグーフィーに逆転ウェーブを待つ。
バックスコアーに自信がなかった私は一瞬迷う…
このまま右側にいる彼等をマークしにいくか、
それともいいセットを待ち、バックスコアーを入れ替えて彼等からポイントを引き離すか迷った。
だがこの判断が思いもよらぬ結末を迎える事になる。
右側のたいした波でもないレギュラーを掴みテイクオフしようとしたその時…
青野選手が私のドロップインをしたのだ。
わざとであろうがなかろうが、その事で私の怒りが頂点に達してしまったのだ。
もちろん青野選手はインターフェアーが課せられた。
残り時間は1分を切る…
私は冷静を失った。
やられたらやり返すなどというくだらない考えから残り時間を青野選手に張り付き徹底的にマークした。
いつも金子氏に言われていた言葉がすっかり抜けてしまっていた。
熱くなったら負けである。
そして残り時間は30秒を切る。
左側のグーフィーをずっと待っていた加藤選手と古賀選手が立て続けに波を掴む…
順位が入れ替わる…
私は最後の最後で逆転されてしまったのだ。

そして試合終了…
結果は3位敗退。
セミファイナルに勝ち上がる事は出来なかった。
ヒート中のリードから確実に勝ったと言う気持ちと冷静な判断が出来なかった事が敗因だった。
もし、あの瞬間冷静に左側に行き彼等をしっかりマークしていたら、
ドロップインに冷静さを失わず自分をコントロールしてヒートに専念出来ていたならば
同じ結果にはならなかったかも知れない。
でも、終わってからなら何とでもいえる。
全て自分自身が未熟な為に招いた結果…
何を言い訳しようが負けは負けはである。

悔しさが残るなか私の2014年度NSAサーキットツアーは終了した。
トータルポイント10860P。
最終シニアランキングは21位。
結果こそまだまだ納得がいかないが、私はなぜか凄く何かに満足だった。
その日の夜は豊田師匠の企画で打ち上げが盛大に行われた。
 
みんな一年間努力して燃え尽きた顔をしていた。
みんな素晴らしい笑顔だった。

私はその時一年間を振り返りすっきりしていた。
本当に素晴らしい仲間に囲まれて私は幸せ物である。

2014年度NSAサーキットツアーで得たものは
戦いに疲れ達成感に輝いた仲間達との時間を共有した笑顔だったのかも知れない。

そして満足だったのはこの一年間を自分自身と戦えた事、今の全てを出し切ったことである。
今を一生懸命に頑張って生きている人達に是非伝えたい。
しっかりとした土台を作って下さい。
土台はきっとあなたが困難や計り知れない苦難の風に吹かれた時
しっかりとした根になってあなたを支えてくれます。
そして大切な人にちゃんと理解してもらって下さい。
あなたのいちばん身近な大切なひとはあなたをしっかり見てくれています。
大切な人の理解を得られたならもしあなたが間違った道に進んでしまってもきっと正しい道を教えてくれます。
正しい道に進んでいる時は計り知れない力を与えてくれるでしょう。
そして困難や苦難からは逃げないで下さい。
困難や苦難はその場から避けてもいつか必ず追いかけてきます。
私はサーフィンから7年間逃げ続けましたがやっぱり追いかけてきました。

今現在私がハッピーでいられるのはきっと今まで私に関わって来た人達全てのおかげだと思ってます。
今まで経験したこと、サーフィンから離れていた時期に出会った人達や学んだ事やいろんな事が無駄ではない。
大好きな人も、苦手なあの人も、大嫌いなあの人も、みんな私の為になっている大切な人達ばかり。
みんな同じ物を食べて同じ景色を見て同じ夢を見る。
無駄な人生や無駄な出会いなど絶対にないのです。
見るもの感じるもの全てに感謝です。
嬉しいさも、楽しさも、悲しさも、辛い事もみんな平等です。
みんな同じ物を与えられ生きています。
もし知らない人が隣で転んでいたら肩をかしてあげて下さい。
あなたが転んでしまった時はきっとその人が肩をかしてくれるはずです。
人はひとりでは生きていけない。
今のあなたの大事な宝物は関わった全ての人のおかげであるのです。

全ての人、全ての恩恵に感謝して下さいね。

最後に。
このコラムを読んでくれたみんなが少しでもゆかいな気持ちになってくれますように。
 
"Beach Studio × Ayumi Iwasaki"

第四章 完

長々とご購読ありがとうございました。
次のコラム担当は師匠の豊田泰史さんです。 お楽しみに

surf column佐藤 弘一朗
1回目 2014/12/17 『リアルコンペティターへの道』
2回目 2015/1/7 『周りの理解と土台作り』
3回目 2015/1/21 『心・技・体、戦友との出会い、苦難、挑戦する事の素晴らしさ』
4回目 2015/2/4 『NSAサーキットツアー2014、苦難 苦戦 地元仙台での開催グランドチャンピオンゲームズ出場枠獲得』
 
 
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