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skate columnSKATE COLUMN 2007/10/3  
羽太芳夫(HABUTO YOSHIO)
29歳 有限会社ビッグウイング代表
スケートボードに取り憑かれて早16年。。
2年前に自分でスケートボードの代理店を始めました。
仕事も、遊びもスケートボードとは常に一緒です。
1回目 2007/8/22 『どうも!ハジメマシテ!』
2回目 2007/9/5 『ぷろすけ~た~』
3回目 2007/9/18 『え~エスR』
4回目 2007/10/3 『交通渋滞パート1』
5回目 2007/10/17 『交通渋滞パート2』

『交通渋滞パート1』

最近は家から2分の所に新しくスケートスポットが出来て仕事の後、毎晩スケートしまくってます。
地元にスポットがあるのがこんなに良いとは。。。こんな感じは久々です。
多い時には10人ぐらい人も集まり、17歳の若いスケーターと一緒になって楽しんでる今日この頃です。。
今回書こうと思うのは、僕の会社で扱っている"TRAFFIC"というスケートカンパニーの話です。
TRAFFICはプロスケーター"RICKY OYOLA"が1人でやっているスケートDECKカンパニーです。
http://www.trafficskateboards.com/team
日本人の多くのスケーターがRICKY OYOLAには影響を受けてきているはずです。僕もビデオテープが伸びきるまで彼が出ているSUBZERO,EASTERN EXPOSURE3,というビデオを見ました。僕の中では好きなスケーターBEST3に確実に入ってる人です。
*SUBZERO(http://www.trafficskateboards.com/team/1/1/video/2
*Eastern Exposure 3(http://jp.youtube.com/watch?v=uhiHs6yKq-U
TRAFFIC。このブランドを僕が日本で扱うことになるとは1年前までは全く思ってもいなくて、偶然と奇跡と感動がむちゃくちゃあったんですよ。。
今日はその話をします。
丁度、1年前になります。
ある日本のスケートボード代理店で働くスケーターの友達から携帯に電話がありました。
Q, ハブチンはOYOLA好きだよね!?
A, はい。もちろん。尊敬しています。
Q, OYOLAがやっているTRAFFICをBIGWINGでやってみないか?
A, え!?。。。まだ、分からないけど連絡だけは取ってみたいです。
Q, OK。じゃあ後で彼のメールアドレスをメールしとくから、連絡してみてね。
A, 分かりました。
この時に思ったのは何故、彼の会社でTRAFFICを扱わないんだろう?!。。
そんな電話が始まりでした。
それからRICKYと連絡を取り合っている中で、RICKYから突然こんなメールが。
RO: 来週、RICH ADLER(TRAFFICライダー)が2週間日本に行くから暇があったら一緒にスケートしに行ってほしい。
YH: え!? RICHは日本に友達いるの? どこ泊まるの?
RO: RICHは日本にコネクションがないから、もし良かったら君の家に泊めてくれないか?
彼はむちゃくちゃスケートが好きで日本のスケートスポットで滑りたい。
ただそれだけが目的なんだ。RICHは良い奴だから心配しないでくれ。

ともかく、来る2、3日前にこんなメールが来て、彼も行くとこないだろうし。。
あたふたしながら到着日に成田に迎えに行きました。
もちろん会ったこともないし、連絡を取ったこともなかったんで、持っていたTRAFFICのTEE SHRTSを着て空港で待っていると。。。
スケートボードを片手に、俺のTRAFFICのTEE SHRTSを見て満遍の笑顔のスケーターKIDSが近寄ってきて言った"TRAFFICっ!!”。そう、彼がRICH ADLER。
RICH ADLER。僕はVIDEOでは前から知っていたけど、PHILLYのスケーターでちょっと危ない奴じゃないかと思ってたけど会ったらむちゃくちゃ良い奴。
真面目で、やさしくて、子供みたいにスケートが好きで、実際にスケートもむちゃくちゃうまい。
そして、来て早々彼がノートパソコンを持っていて俺に”今TRAFFICのDVDを作ってるんだ”といい始めた。それを聞いて、それはTEAMで作っているという意味だと思っていました。
YH: まじで!?見せてよ。(見たら、激ヤバ!。。)

YH: 誰が編集してるの?
RA: だから、僕だよ。
(え!?TRAFFICのDVD PROMOをホームページで見た時はSTATICを作ってるJosh Stewartが作っていたからてっきり彼が作るもんだと。。)

YH: ビデオ作った時あるの?
RA: ん。今回が始めて。RICKYから頼まれた。しかも、時間がないから日本にいる間に完成させないといけないんだ。

それからは、家にUSAのTRAFFICライダー達から国際便で映像が送られてくるわ。すごいことに。
RICHも日本でスケートをしながら空いた時間は部屋にこもり必死に部屋で編集を。。
まさか、俺の家で、しかも隣の部屋でTRAFFCのファーストDVDが作られるとは。。思ってもいませんでした。
あとRICHが来ることを知った時、当時僕の会社でアンビリーバースというブランドでライダーのDESHI(OHMOTO YOSHIHIRO)をRICHに会わせたかった。
なぜならDESHIがPHILLYのスケートシーンに大きく影響されて来たことを知っていたし、DESHIのスケートの考え方とRICHの考え方が何故か同じような気がしていました。

僕は、平日昼間は仕事なのでそういう時にはDESHIや地元の友達にRICHを頼みスケートに連れていってもらっていて、ある時、地元のスケート友達でFILMERでもあるカツミの家で、飲みまくってたらしくRICHが一泊することがありました。
翌日の朝、カツミから電話があってRICHがTRAFFICのDVDに俺が持ってるDESHIの映像を使いたいっていってるんだけど間違いだったらヤバイからもう一回確認してみてほしいと。
で、確認したら”是非使いたい”。
それで何故か、 TRAFFIC DVDのRICHのパートにGUESTとしてDESHIが出演することに。。。
(この時DESHIは、TRAFFICではなくアンビリーバースというDECKブランドのライダーでTRAFFICとは関係ありませんでした。)
しかも、俺とカツミとRICHでDESHIがDVDに出ることは発売まで内緒にしようと話しました。

そして、RICHは日本での2週間を満喫してPHILLYに戻りました。
さすがに2週間もいたから、最終的に家族みたいな気がして帰る時は寂しかったです。
RICHが帰り際に、俺の母さんに花束をプレゼントしてくれて、”今回はどうもありがとう!それと、毎日朝ご飯を作ってくれてありがとう。おいしかったです。”と。なんて、やさしい奴なんだ。。俺も母もそろってまたこいよ!!って伝えました。
それから、半月後SANDIEGOで行われるASRという展示会でRICKY OYOLAに始めて会いました。
ASR自体にTRAFFICのブースはなく、彼のスポンサーであるVOXのブースで待ち合わせをしていて、
行ったらそこに彼がいました。
そして本当に凄い出来事が起こり初めたのはここからです。。。。
次回に続きます。

skate column羽太芳夫(HABUTO YOSHIO)
1回目 2007/8/22 『どうも!ハジメマシテ!』
2回目 2007/9/5 『ぷろすけ~た~』
3回目 2007/9/18 『え~エスR』
4回目 2007/10/3 『交通渋滞パート1』
5回目 2007/10/17 『交通渋滞パート2』
 
 
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