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skate columnSKATE COLUMN 2012/2/13  

井関信雄
年齢:35歳 仕事:フォトグラファー
スケート歴:なんだかんだ23年 子供:1歳
http://www.nobuoisekiphotography.com
1回目 2012/2/8 『はじめまして。井関です。』
2回目 2012/2/13 『ヘビースのおもひで』
3回目 2012/3/7 『わしの好きなスケートボード雑誌ぜよ。』
4回目 2012/3/21 『わしの好きなスケートボード雑誌ぜよ2』

『ヘビースのおもひで』

こんにちは。スケート写真を撮っている井関です。
今回もよろしくお願いします。

2回目の今回は、僕が最初に出入りさせてもらったショップ、
ヘビース・サーフショップについて書いてみたいと思います。

1988年頃、僕の地元高知には本格的なスケートショップはありませんでした。
その代わりサーフショップがスケートボードを取り扱っていて、僕らの地元にあったのがへビースでした。
小学6年生の僕はここで、最初のちゃんとしたブランドデッキを買ってもらいました。
スケートビデオやスケートマガジンに初めて触れたのも、ここが最初でした。
ここは名前の通りサーフショップですが、
敷地内にミニランプがあり
地元のキッズスケーターは皆、ここに出入りしていました。
そして、僕はここで20年以上も付き合うことになるスケーターたちに出会うことになるのです。

ヘビースで出会ったスケーターたちについて、記憶をたどって見ようと思います。

一人目は僕の初めてのローカルヒーロー岡田くん。
彼については第一回のコラムにも書きました。
見ためはちょっとワルそうな、ひとつ年上のアニキ的な存在でした。
彼はトミー・ゲレロ(当時はパウエル所属)が大好きで、ゲレロの板を何枚も乗り続けていました。
中学生でこのこだわり。かっこよかったな~。

そして、岡田くんと出会ったその日に
彼と殴り合いのケンカになったのが、もっさんこと小松明(旧姓:藤本)くんです。
FATBROSのライダーのもっさんと言った方が分かりやすいかもしれませんね。
彼と僕は都内で暮らす同郷の先輩・後輩としても長い付き合いになりますが、
お互い貧乏暮らしも通過して苦楽をともにした戦友とも言えます。
しかし!
若い頃はワルそうなやつ特有の周りを寄せ付けぬオーラを放っていたうえに、
何を隠そう僕はもっさんにカツアゲされたこともあります。

上記の二人は明らかにいじめっこタイプで、後輩の僕は基本的にいじられるポジションでした。
そんな時にフォローしてくれたのが、3人目の先輩、吉岡くんでした。
彼は岡田くんやもっさんとは対照的に、物腰が穏やかで優しい先輩でした。
年下の僕らにトリックを教えてくれたり、良いスケートスポットを教えてくれたりしました。
写真の中でメガネをかけている左の人が岡田くん、右側のメガネをした人が吉岡くん。
(この写真はとある情報筋から入手しました...。)



その他にも、ヘビースのオーナーの息子でRが上手いトオルちゃん、
やたら女にフラれるテツシくん、オシャレなセイジくん、
フリップがうまいコウジくん、縁石を自作するケンちゃん、
ねぐせのアッペ、元野球部のヤキュウなどなど、個性的なメンツが出入りしていました。
今改めて思うことは僕のルーツはヘビースにあり、
ここは最初の社会勉強の場でもあり、
最初のスケート的なものさしをあたえてくれた場でもありました。
そして高知のスケート・コミュニティの中心地になっていました。

ありがとうございます。ヘビース・サーフショップのみなさん!
これからも頑張って下さい。

ちなみに...。
2011年、優しい方の先輩の吉岡くんが高知にスケートショップをオープンしました。
名前はTonttu(トントゥ)スケートショップと言います。
スクールやツアーも開催しているようです。
まさに、僕らを優しくフォローしてくれた吉岡くんが、
そのまま大人になった動きといえるのではないでしょうか。
この場をお借りして吉岡くんにもエールを送りたいと思います。頑張って下さい!

ということで、今回はこのへんで。
次回は僕の仕事、スケート写真について書いてみようと思います。
では。



skate column井関信雄
1回目 2012/2/8 『はじめまして。井関です。』
2回目 2012/2/13 『ヘビースのおもひで』
3回目 2012/3/7 『わしの好きなスケートボード雑誌ぜよ。』
4回目 2012/3/21 『わしの好きなスケートボード雑誌ぜよ2』
 
 
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