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skate columnSKATE COLUMN 2012/3/21  

井関信雄
年齢:35歳 仕事:フォトグラファー
スケート歴:なんだかんだ23年 子供:1歳
http://www.nobuoisekiphotography.com
1回目 2012/2/8 『はじめまして。井関です。』
2回目 2012/2/13 『ヘビースのおもひで』
3回目 2012/3/7 『わしの好きなスケートボード雑誌ぜよ。』
4回目 2012/3/21 『わしの好きなスケートボード雑誌ぜよ2』

『わしの好きなスケートボード雑誌ぜよ2』

こんにちは。
スケートの写真を撮っている井関です。
僕のコラムもこれで4回目ということで、いよいよ最後になりました。
今回は、前回からの続きで
僕がフォトグラファーとしてデビューさせてもらったスケート雑誌WHEELについて書こうと思います。

2001年当時、大学卒業を控えた僕は特に就職活動もせずアルバイトをしながら、
何かもの作りで生計を建てられたら嬉しいな、くらいの呑気な生活を送っていました。
当時はスケートから離れていて滑りに行ったりはしていませんでしたが、
写真の方は自分のルーツとしてスケートに近いものを撮っていました。
それはスケートで傷ついた縁石の写真でした。
縁石をクローズアップして撮るという行為を行く先々で繰り返していました。
ある時、それを持ち込んで掲載してくれるようなスケート雑誌がないものか
探してみようと書店に行ってみるとスポーツコーナーの棚に、
赤一色のカバーでやけに目立つ雑誌があるではありませんか。
それがWHEELでした。

中を見て見ると...。
そこには今までに見た事の無い、美しいスケート写真の数々が掲載されていました。
スケート写真って今はこんなに凄いのか...!
僕は衝撃を受けました。
僕の見覚えのあるスケート写真は
良い意味でワイルドでラフな感覚の、いうなれば大味の良さを持つ写真が多かったのですが、
全く逆の、繊細かつ計算されつくしたスケート写真とでも言うのでしょうか。
画面の隅々まで緊張感の漂う練られた構図で、日本のスポット、日本のスケーターが写っていました。
とにかく日本のスケート写真がカッコ良く見えて、びしびし伝わるものがあったのです。
当時WHEELのメインフォトグラファーは、
今では写真家として有名な平野太呂さんと、
色気の漂うスケート写真を撮る磯野勇さんの2大巨頭がメインとなって活躍していました。
そして編集長の小澤さんによる文章は
時に詩的でシリアス、時に下ネタあり、笑いありと振れ幅が大きく引き込まれるものでした。
今だにWHEELが好きで
家の書棚のレギュラーポジションに置いているスケーターに何人も会ったことがあります。
ともかくそれくらい革新的なスケート誌だったのです。
当時の僕は、すぐにでもこのWHEEL編集部に就職したい!と思い電話をかけてみました。
そして「スタッフを募集していませんか?」と尋ねてみると
「あいにく担当者は不在です」とそっけない返事が返ってきましが、
あきらめずに何度かに電話した時でしょうか。
やっと編集長に取り次いでもらえました。
そして写真を見てもらう機会を取り付けたでした。

WHEEL編集部に初めて行く日。
出版社に行くのなんて人生初めてだし、
写真を見てもらうために1人で乗り込んで行くわけですから、かなり緊張していました。
僕の人生の中で一番緊張したシーンかもしれません。
編集部のオフィスに入ると、
スケートボードやスノーボードや雑誌が散乱していて雑然としていましたが、
しかし熱気に満ちていてスタッフの方々が慌ただしく仕事をしていました。
ここで僕は初めて編集長の小澤さんと、副編集長の氷上さんと対面しました。
そして、撮り貯めた縁石写真を見てもらうと、予想だにしない好感触でした。
「スタッフとして雇うことはできないけど、フリーランスの立場で
今製作中のフォトイシューでこの写真を出してみないか」と言ってくれました。
僕はもう嬉しくてしょうがなかったのですが、ただし、ひとつ条件を出されました。
それは「スケートのライディング写真も一緒に掲載する」というものでした。
僕は当時まだスケート写真は撮ったことがなかったのですが、
根拠のない自信だけは有って厚かましくも「ぜひやらせて下さい」と答えました。
しかし、なにせ技術的には何も知らず道具もろくに持っていなかったので、
中古のフラッシュを買いに走り、フィッシュアイレンズを買い、
なんとかスケート写真を撮る体勢を整えたのでした。
そして街で見かけたスケーターに声をかけて撮らせてもらうという動きで数週間を過ごし、
どうにか写真を納品するに至ったのでした。
(あの頃写真を撮らせてくれたワタシ君、ファビオ、イチロー君、ありがとう。)
数週間後、その写真が掲載された見本誌が家に届きました。
自分が撮った写真が写真が雑誌に載っている..。
この本が全国各地の書店に並んでいる...。
なんて凄いことだろう...!
僕は震えました。
自分の写真が本になる快感を、この時初めて知ったのでした。
その後、半年ほどしてWHEELは残念ながら休刊となりましたが、
しかし小澤さんと太呂さんの両氏によって新たにSb skateboard journalが創刊されました。
Sbは半年に一回の発行、つまり年に2回発行で、2012年始めの号で19号目となりました。
もちろん僕も関わらせてもらいました。
こうして振り返ると、長いお付き合いをさせてもらっています。
書店、スケートショップで見かけた方は是非ご一読いただけると嬉しい限りです。

日本でガチンコのスケート写真を撮ることは容易ではありません。
スケート人口が少ない、
スポットがない、
セキュリティが厳しい、
人通りが多いなど難点をあげればキリがありません。
さらに世界のスケートマーケットの中では日本の占める割合はとても小さく特殊だといわれます。
しかし、だからこそ欧米のメインストリームに属する写真表現とは一線を画す、
独自の表現を作り上げるチャンスも大いにあると、僕は思います。
特殊だからこそ、面白いスケーター、 トリック、スポットはまだまだ露出されずにいると。
これを読 んでいるスケーターのみなさん、そして彼らにレンズを向けるフォトグラファーのみなさん。
今の日本のスケートシーンはまだ見ぬ世界唯一の表現方法をあみ出すチャンスが転がっています。
もし一緒に仕事をする事になったら頑張りましょう。
ということで、僕のコラムはこれにて終了となりました。
次回からのコラムニストは、
僕と同郷の高知出身でETNIESのライダーであり、
最近ニューヨークのデッキブランドOPENからサポートが決まった中平健児くんとなります。
お楽しみに。
全4回、おつきあいをありがとうざいました。
またどこかで。


skate column井関信雄
1回目 2012/2/8 『はじめまして。井関です。』
2回目 2012/2/13 『ヘビースのおもひで』
3回目 2012/3/7 『わしの好きなスケートボード雑誌ぜよ。』
4回目 2012/3/21 『わしの好きなスケートボード雑誌ぜよ2』
 
 
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