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skate columnSKATE COLUMN 2012/3/7  

井関信雄
年齢:35歳 仕事:フォトグラファー
スケート歴:なんだかんだ23年 子供:1歳
http://www.nobuoisekiphotography.com
1回目 2012/2/8 『はじめまして。井関です。』
2回目 2012/2/13 『ヘビースのおもひで』
3回目 2012/3/7 『わしの好きなスケートボード雑誌ぜよ。』
4回目 2012/3/21 『わしの好きなスケートボード雑誌ぜよ2』

『わしの好きなスケートボード雑誌ぜよ。』

こんにちは。
スケートの写真を撮っている井関です。
当コラムも3回目ということで、何を書こうか頭をめぐらせたところ
スケート写真の歴史か、もしくは日本でスケート写真を撮ることについて、
あれこれ書こうと高まったのですが、
未だ自分自身がそれを語れるほどの見聞を持ち合わせていないと気づいた次第ですので、
ここはスケールダウンさせて、
僕がスケート写真を撮るきっかけともなったスケートマガジンたちについて、
あと2回のコラムを書いて行こうと思います。
おつきあいのほど、よろしくお願いします。
まず僕が初めて買ったスケートマガジンは、スケートマガジンの王道THRASHERの1992年4月号でした。
当時高校生だった僕は、前回に書いたヘビースで知り合った仲間と連れ立って
大阪のアスコットボードパークに行きました。
そしてパーク横のショップで初めてスケートマガジンが売られているのを目にしました。
僕はなけなしのお小遣いで下の写真のTHRASHERを購入しました。
たぶん、スケートを始めて4年目くらいで初めてスケート雑誌を買ったということになるので、
今考えると遅いかもしれません。
しかし、それだけ雑誌やメディアの情報が少なく貴重な時代だったので、
とても嬉しかったのを覚えています。
だから未だにこの一冊を後生大事に保管しているというわけです。


僕にとって THRASHERがスケートマガジンのファーストインパクトだとすると、
セカンドインパクトはNATIONでした。
NATIONは、
フォトグラファーにして
スケートジャーナリストのNISIこと西岡昌典氏が立ち上げた日本のスケートマガジンでした。
日本と海外の情報が同一線上に取材され、
本場アメリカのプロスケーターへのインタビューはもとより、
日本のスケーターたちの海外での活躍や国内ツアーの様子などが取材されていました。
とにかく現場っぽいというか、生の情報がつまっていてこれも夢中で見ていました。
なかでも印象的だったこの表紙。

スケートではありません!
ケンカですねハイ。
先日NISIさんのお話を聞いてわかったことですが、
これはとあるスケート関係のライブイベントでケンカが始まり、
たまたま居合わせたNISIさんが「もっとやれ!」と先導しつつ、
「もっと右へ行け!」などと構図的な指示をとばして撮られた一枚だとのことです。
トリック云々でないどころかスケートボードも出てこないのに、
ちらりと見えるVANSがスケートの臭いをぷんぷん放つ、凄いカバーです。

そして僕のサードインパクトは、90年代スケート史の一大事件BIG BROTHERでした。
これも高校生の頃に初めて見て即買いしてしまいました。
記事の中身はスケートだけでなく
酒やらエロやらドラッグやらタトゥーやら思春期のキッズが気になるワルい要素がてんこもりで、
それでいて面白おかしくかっこ良く描かれているわけで、
好きになるというよりショッキングでした。
クリエイティブ面では当時まだ写真を撮っていたスパイク・ジョーンズ氏や、
90年代初頭のスケートフォトのテイストを作ったリック・コシック氏が参加しており、
当時のスケートボードのイメージを作ったと言われる雑誌です。
どうりでかっこいいわけですね。

と、ここまでは90年代、僕が高校生だった頃までに印象的だったマガジンについて書いてきました。
次回はそのつづき、
僕がフォトグラファーデビューする日本のスケート誌「WHEEL 」と「Sb」について書いてみようと思います。
では次の最終回で!

skate column井関信雄
1回目 2012/2/8 『はじめまして。井関です。』
2回目 2012/2/13 『ヘビースのおもひで』
3回目 2012/3/7 『わしの好きなスケートボード雑誌ぜよ。』
4回目 2012/3/21 『わしの好きなスケートボード雑誌ぜよ2』
 
 
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