interstyle magazine
 COLUMN

snow columnSNOW COLUMN 2015/6/17

 

加治秀之
S50,11,7 39才 埼玉県出身・在住。
シーズンオフは家業、シーズン中は水上に家を借り谷川岳を滑り込む。という生活から離れ、
今は年間を通して父の経営する“加治建設工業”で働く。
現場と自宅を行き来する毎日だが時折2時間離れた現場に通ってることは、一応内緒。
出演作品『雪崩の山 谷川岳』。
スポンサー:Twelve snowboards, HEIN, EVOLG, SPY, Zimbabwe
1回目 2015/4/15 『山と自分と仕事』
2回目 2015/5/20 『SNOWBOARD LIFE』
3回目 2015/6/3 『仲間』
4回目 2015/6/17 『谷川岳』

『谷川岳』

あなたは雪山に入る時
自然の中に入って行くという心構えはできていますか?
その雪山に対する情報、雪の知識をどれほど持っていますか?
もし仲間が雪崩に巻き込まれた時、助ける技術をもっていますか?

『雪崩の山 谷川岳』昨年10月にリリースされたスノーボードドキュメンタリー映画に出演できた事は
私のスノーボード人生の中で本当に大きな出来事でした。
『谷川岳』いったい何人の人がこの山を目指したのだろうか?
何人の人が楽しく滑り、素晴らしい時間、最高の時間を過ごせたのだろうか?
逆に、何人の人がこの山の恐さを知っているのだろうか?
雪山、特にバックカントリーのフィールドでは楽しさと危険は常に隣り合わせです。
私自身、事故は起こしたくないし巻き込まれたくないです。
もしかしたら雪崩や滑落、遭難など雪山の事故で死ぬかもしれません。
でも、本音は絶対に、絶対に死にたくないです。
ですが自然の世界では絶対という言葉は全く通用しませんし、絶対安全、絶対に大丈夫などありえません。
だからこそ、雪山に入る私達1人1人が知識と装備を持ち合わせ、
『自然の声』『雪山からの声』『仲間からの声』に耳を傾け、意識を高め、
しっかりとした準備と段取りをして雪山に向かい合って行かなければいけないのです。
それが滑らせてもらう谷川岳への、一緒に滑る仲間への礼儀ではないでしょうか。


『谷川岳』過去80年以上の間に800名以上の山岳事故の死者が出ていることから魔の山と呼ばれています。
関東の冬は谷川岳を境に日本海側は多雪になり、
そのまま湿った水分は谷川岳へとぶつかり落ちる為、太平洋側は比較的乾燥しています。
また日本海側と太平洋側の気候とぶつかり合うこの場所は、気象、気温がはげしく変わる場所です。
山は急勾配な斜面、深い沢、岸壁などの複雑な地形が多く、
風、雪、気候、地形、幾つもの要因が重なりこの山は雪崩が多く発生します。
谷川岳は標高約2000m頂部にはトマ(1963m)、オキ(1977m)を持つ双耳峰です。
元々、谷川岳という山は隣山の俎嵓(マナイタグラ)に付けられていた名前で、
国土地理院の誤記の為に谷川岳のトマの耳、オキの耳が谷川岳と呼ばれるようになったそうです。
俎嵓‥まだ誰も滑ったことの無いその斜面は未知の世界であり、
その斜面に行き着くまでにも難所が予想される正に夢の舞台でした。
DVDに納められた俎嵓アタックは2014年1月24日でした。
実はその9日前の1月15日にファーストアタックしていたんです。
今、思い返すとあの日じゃなかったんだな、あの日に滑らなくて本当に良かったと思っています。

あの日はいつも泊まっている熊穴沢の避難小屋には先客がいて急遽外でのテント泊となったのです。
突然の予定変更、寒さと緊張も重なりとても長い夜でした。

そんな中やっと朝が来て、寝不足の体にムチを打って準備をしてハイクアップを始めました。
が、途中少し雲が出て来たので山頂付近の肩の小屋で1時間のウェイティング。
雲の残る中、ノリやカメラマン2人と話し合い行くことを決断しました。
途中の何箇所かある難所を通過してドロップポイントまでたどり着きました。
各々のドロップの位置、雪の状況、雪庇、クレパスなど周囲の確認をして30分が経った頃
北の方面から朝から気にしていた雲が流れて来て徐々に徐々に周囲が白くなって来てしまいました。
今思うとその日の私は何となく冷静ではなく、何か落ち着かなかった‥‥。
とにかく緊張していたと言うか何か焦っていたというか‥‥。
その時にノリから
『カジさん、どうしますか?』
と聞かれて、言葉が出ませんでした。
滑れるなら滑ってしまって早くこのミッションを終わらせたかったのが正直な自分の気持ちでした。
ハイクだけでも約5時間半の道のり。
再チャレンジは大変だし、
何よりココまで来たルートをまた戻らなきゃいけないというのが本当に嫌でした‥‥。
でも、ノリは冷静でした。
時間的な問題、今後の天候、撮影時の光の問題などを的確に判断して
『今日はやめましょう』と、きっぱり言ってくれた。
『ココを滑るのは今日じゃないです、だから早く帰りましょう』と‥‥。
我に帰りました。
やっと冷静になり、焦りや緊張がなくなっていきました。
その後、谷川岳付近はみるみるうちに白い大きな大きな雲に覆われて来て
ホワイトアウトギリギリで肩の小屋付近まで帰れたのです。
その時本当に行かなくて良かったと心から思いました。
ノリにはすごく感謝しています。
スノーボードの世界だけではないですが、時には『やめる勇気』というのは絶対に必要だと強く思いました。
そして、再チャレンジの日
ノブ(大信雄一)も合流しての夢の舞台。
メンツ、雪、天候全ての条件がそろった1月24日、
旧谷川岳‥俎嵓をノブ、ノリ、カジでのファーストディセント!!
3人共無事に滑りきることが出来ました。
1月15日もしあの日に滑っていたら‥‥
もうちょっとウェイティングが長引いてたら‥‥今の自分はいなかったかもしれません。


冒頭で投げかけた言葉の意味は
とても深くて重い意味のある言葉だと出演させてもらった自分自身が強く感じております。
バックカントリーをフィールドにしているスノーボーダーのみなさま、
これからバックカントリーを滑ろうと思っているみなさま、
何度も言いますが、絶対安全、絶対大丈夫など自然の世界では通用しません。
それだけは覚えていてください。
今後、雪山での事故がひとつでもなくなることを心から願っています。
もちろん、私自身もまだまだ未熟者なので
より一層気を引き締め山と向かい合って生きたいと思っております。

結びに今回コラムを書くという機会を頂いたインタースタイル様、
私のことを紹介してくれた佐藤慎二君ありがとうございます。
自分のスノーボードライフ、家族、仲間、仕事、
実にいろいろな事を振り返り考えるとても良い時間を持つことが出来ました。
読んで頂いたみなさまにもとても感謝しております。
そして、私の事を支えてくれている家族、仲間、
サポートして頂いているTWELVE snowbords 福山さん、西田さん、
辻村くん、Hein EVOLG 蓜島さん、SPY 河尻さん、ZIMBABWE 谷澤さん、多根ちゃん
本当にいつもありがとうございます。とても感謝しています。これからもよろしくお願いします

snow column加治秀之
1回目 2015/4/15 『山と自分と仕事』
2回目 2015/5/20 『SNOWBOARD LIFE』
3回目 2015/6/3 『仲間』
4回目 2015/6/17 『谷川岳』
 

 
Copy right © INTERSTYLE Co.,Ltd All Rights Reserved.