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INTERSTYLE 2021
開催:2021年2月16日(火) 〜 2月18日(木) 
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コラム

堀米亮太『第1回 This is 堀米亮太』

2018/10/03 tag: 堀米亮太

Ryota Horigome photo
熱く語る堀米氏(右)

SLS(STREET LEAGUE SKATEBOARDING)での優勝なども記憶に新しい、
昨今世界中から注目を集めているスケートボーダーYuto Horigome(堀米雄斗)。
今回はその父であり、今現在自身もスケートボードを楽しんでいる
Ryota Horigome(堀米亮太)氏にコラムの寄稿を依頼してみたところ文章を書くのが苦手…
と、いうことで、長年の友人である東大島ローカルの龍野氏とフォトグラファーの種田氏を交えて雑談形式で
堀米氏の話を色々聞いてみました。
 

【自己紹介をお願いします】
堀米亮太(ホリゴメ リョウタ) 44歳。あ!43歳??
えっと、、昭和49年10月11日生まれ。スポンサーは、、、ヨメ!

【スケートボードを始めた年は?】
中学校1年生の時だから、昭和で言うと、、、31年前だから、、、1987年だね!

【スケートボードを始めたきっかけは?】
地元の八潮の中学に入るといろんな地域の小学校の奴が集まってくるでしょ、
それで仲良くなった奴にスケートボードをやってるっていう奴がいて、そいつがバナナクラブの板に乗っててね、
まぁ、よくある話だけど、運動神経には自信があったからそんなもの軽くできるだろうと思って
乗ってみたら予想外の動きに一発でガツーン!ってやられちゃって…

その頃親父に上野によく連れて行ってもらっててさ、たまたまアメ横のムラサキスポーツの前を
通りかかったらフリースタイルの映像が流れてて、それ見たらこの前の経験と合わさって
スケボーやりたい!ってなっちゃったんだよね。
で、親父に頼み込んで買ってきてくれたのが、当時二木の菓子かロンドンスポーツあたりで売ってた
2,000円位のオモチャのスケボーでさぁ…(泣)

バナナクラブの板に乗ってる友達に見せたらそんな板じゃだめだよ!とは言われながらも
何とか一応チックタックくらいはできるようにはなったけどね。

【その当時で流行っていたスケートのスタイルは?】
何しろジャンラン!ジャンプランプだね、ちょうど第二次スケートボードブームの時だね。
同じ学年の奴も上手かったんだだけどさ、更に本格的にやってる1コ上の先輩達がいてさ、
その人たちはジャンランも自分たちで作ってて、ストリートプラントとかもやっててね。

で、その先輩たちと一緒に滑るようになってから、板とかギアの知識もついてきて
親父にちゃんとしたスケートボードを買ってほしくて頼み込んだのよ。
まぁ、当時コンプリートで4万円超えてたから値段言ったらびっくりされてねぇ。
だから試験で何位以上を取ったらって約束してなんとか買ってもらったんだよね。

余談だけど、当時友達のパウエルの板がダンプカーに轢かれて真っ二つになっちゃったことがあったんだけど、
その頃は景気が良かったからダンプの運転手が車から降りてきてスッて財布から1万円札出して
「これで新しいの買えよ」って渡されて。まぁ、当時は板だけでも1万3500円もしたから全然足りなかったけどね(笑)

当時地元の八潮の先輩たちとジャンランで遊んでいるうちに、風の噂で水元公園に
上手い人達がいるって話を聞きつけて見に行ってみたのよ、そしたら本当にみんな上手いし
70cmとかのデカいジャンランでヒッピーツイストとかメソッドエアとかやってるのよ。
ラジカルスケボーズで見たまんまの技とかやってて、上手すぎて初めは声もかけられなかったな。

で、水元公園に通っていくうちに勇気を振り絞って「自分達も飛ばせてください!」ってお願いしたら
フレンドリーに、いいよ!って言ってもらってデカいジャンランにトライするんだけど
案の定みんなマクられてね、仲間内で暴走族に入ってるような一番ヤンチャな奴も思いっきりマクられて
頭から地面に叩きつけられてさ、心配だからみんなでそいつの所に駈け寄ったら震えた声で
「おかあさぁん」って言ってたのが今でも覚えてるなぁ。(笑)

多分生まれて初めての衝撃と痛みでそんな事を口走ったんだろうね。
俺も初めてグリッチョした時なんて足はパンパンに腫れるし痛すぎるし
もう一生歩けなくなるんだろうなって思ったくらいだからね。

【バーチカルはどんなカタチで始めたんですか?】
バーチはね、松戸にサニーランドってのがあったのよ、ボウリングとかいろんな施設が入っててね。
当時は最新の情報もないからその頃ビデオ見たアニマルチンみたいなバーチが松戸にあるって話を人づてに
聞きつけて埼玉の八潮から千葉の松戸までみんなでチャリンコで行ったのよ。
たしか88年くらいかな?
みんなジャンランしかやってきてないからターンの仕方も分からないし、ドロップで顔面から落ちる奴もいて
みんな打ちのめされた記憶しかないな。

90年代にも竹ノ塚のマップスで8ftのバーチカルをちょろっとやってたけど、訳が分からなさ過ぎて…
ちゃんとやるようになったのは雄斗と一緒にスケボーするようになってからだね。

で、結局松戸のサニーランドのバーチカルに歯が立たなさ過ぎてまたジャンランに戻るのよ。
平日は地元の八潮で滑って、週末は水元公園に遠征って感じで過ごしてくとさ、
デカいジャンランの作り方とかも覚えて地元でもやりたくて色々試すわけよ、
いきなりうまく作れる訳もないから試行錯誤して何個も作るのよ。
多分100個以上は作ったと思うよ。
どうしてそんなに何個も作れたかって言うと、たまたま友達の家の近くに資材置き場があってね。
そこにジャンランを作る材料があるもんだから夜な夜なそこに忍び込んでは作っての繰り返しで。

まぁ、資材を拝借してるってことなんだけど、当時はジャンランを作りたい一心だったから
悪いことをしてるなんて微塵も思ってなくてね。
で、たまたま夜にその資材置き場で物色してたらお巡りさんがきてさ、当然「君たち何してるの!?」って
なるんだけど、自分たちは悪いことをしているつもりもないからジャンランについて熱く説明したらさ、
お巡りさんも関心しちゃってさ「じゃ、頑張ってね!」って行っちゃったんだよね。

でね、当時を振り返って、よく考えたら中々すごいことやらかしてたんだなって思ったのは
その頃から20年後くらいかな、30歳過ぎてから(笑)

その少し後くらいからかな、一時は地元の八潮で10人近くいた仲間達も暴走族だ車だバイクだって
だんだん違う遊びの方に行っちゃって、1人抜け2人抜けって感じで最終的には俺ともう1人2人くらいに
なっちゃったんだよね、まぁ俺以外のやつらの滑る機会もだいぶ減っててさ。
地元と同じような事が当然水元公園でもあってさ、年上の人たちは別の遊びに行ったりでね。

ちょうどその頃に水元公園にクオーターランプができてさ、ビデオで研究してターンをしたりしてね。
その頃はクオーターとノーコンプライが流行ってて、ジャンランはちょっとダサいみたいな感じになっててさ。
まぁ、その後しばらくしたら水元公園のスケートボーダーも一気に人数が減っちゃって。
俺も結局受験だなんだって感じでスケートボードはちょろちょろしかやんなくなっちゃってね、
高校には無事に入れたけど、高1の頃はスケートボードは全くしないでヤンチャしてる方が楽しくなっちゃってね。

諸々話は逸れますが、続きは次回。

 

堀米亮太(ゴメス・ゴメさん)プロフィール
世界のYuto Horigome(堀米雄斗)の父
お話好き(特に都市伝説系)

 

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