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コラム

許正憲『第1回 ん?・・・・ツインフィンのことかい?』

2021/02/03 tag: 許正憲

初めまして!沖縄の徳永さんからバトンタッチして、今回より4話のコラムを担当させていただくことになりました許 正憲(きょ まさのり)といいます。どうぞよろしくお願いします。

私は海洋研究の仕事、特に何千メートルという深海底をフィールドとしております。サーフィンと出会ったことがきっかけでこの道へ進み、早や35年が経ちます。昨年には還暦を迎えましたが、まだまだ現役には負けないつもりで頑張っているところです。サーフィン業界の人間ではありませんので、おそらくこのコラムを読まれる方で私のことを知っている人は皆無でしょうから、まずは自己紹介を兼ねて、第1話は、サーフィンと出会ったことが縁で何故、深海の道へ進むことになったか、格好よく言うとターニングポイントみたいなことを書かせていただこうかと思います。

台湾出身で、幼少期に親とともに日本へ移住し、主には多摩エリアで育ちました。高校時代、少年たちのもとには西海岸の風が吹き、その風に乗ってNIKEのワッフルトレーナーとフリスビーとスケートボードが運ばれ、みんながスケボーに夢中になり、そして、高校を卒業し、運転免許を手にするとスケボーがサーフボードへ変わっていく、そんな時代です。私ももれなくその流行に乗りサーフィンと出会うことになります。ちょうど世の中では第一次サーフィンブームの終盤?、第二次サーフィンブームの前兆?・・・・その境目がはっきりしないのですが、一説にはPopeye増刊号the Surf Boy(1978年6月20日出版)が第二次サーフィンブームの引き金であったという説があり、確かに出版よりも若干前にサーフィンを始めた私は後続の同級生に対して同じ初心者なのにかなりエラソーに先輩面していたことを覚えています。

Kyo Masanori Photo
第二次サーフィンブームの引き金となったという説があるPopeye増刊号the Surf Boy。よくもまあこんな古い雑誌を持っていたものである。

さて、フツーの高校生がフツーに大学生になってフツーに波乗りをするようになったわけですが、そこにはとても強く引き込まれる「何か」を感じていました。しかし、当時の私にはこれが何であるかがよくわからず、おそらくスポーツとしての楽しさや自然のパワーに圧倒され過ぎていて、後々の自分の進む道を示唆してくれるもうひとつの要素がその中に隠れていたことには気づかなかったのでしょう。大学時代、両親が沖縄へ移住し、これを機に沖縄、故郷台湾でもサーフィンを始め、旅先での出会いや新しいサーフポイントを開拓する喜びも知り、ますますサーフィンにはまっていった私も大学4年生、卒論を書くための研究室選びの時期となります。

あっ、そうそう、私は某国立大学の工学部機械工学科に入学しました。将来、特に何がしたかったというわけではなく、単に国語や社会に比べれば数学と物理の方が得意だった程度で理工系を選んだだけでした。研究室選考日、学年一同が大教室に集められ、各研究室の専門分野と研究テーマが書かれたリストが配布され、こりゃ「ラクそうvs競争率」の駆け引きだなぁ、などと邪推な考えをしながら眺めていると、「◎川俣研究室、〇専門分野:流体力学、〇研究テーマ:二枚板と表面波の相互作用に関する研究」というのが目に留まり、「二枚板?波?・・・・なんじゃ、こりゃ!これってもしかしてツインフィンの研究じゃねぇか?」・・・・ドーパミンが体中をめぐり、やる気スイッチが入った瞬間でした!なんたって善家誠さんがツインフィンでJPSAグラチャン二連覇、マークリチャーズもツインフィンでワールドチャンピオンの時代でしたからね。友人の忠告も耳に入らず、希望者ゼロのこの研究室の門戸を開いてしまったわけです。

しかし、研究室に入った瞬間、私の思いつきは大きな勘違いで、期待したツインフィン研究とはまったくかけ離れた世界であることに気づかされました。指導教授は紙と鉛筆さえあれば、時を忘れていくらでも方程式と戯れていられる方で、黒板の隅から隅まで埋め尽くされた意味不明の方程式を前にニコニコしている先生の顔を今でも忘れません。難解であればあるほど嬉しいようです。そういう意味で「波」は先生にとって愛おしい存在だったのです。今でこそ尊敬していますが、当時は確実に変態だと思ってました。そして、その部屋で私を待ち受けていたのは難しい数式ばかりが並ぶ論文たち。でも、そのひとつにブレアー・キンズマン著「海洋の風波」という書籍がありました。海の波の誕生から消滅までの物理現象を数学で解説してくれており、今まで「今日の波はぁ~、セット長めでぇ~、コシくらいのダンパーかなぁ~」などとサーファー以外には絶対に通じない表現(もっともサーファー以外に通じる必要はないのですが)しか知らない私にとって、波長、波高、波向、波速、周期、峻度といった何れもサーファーにとって重要な情報が運動方程式の中にちりばめられて登場するわけですから、とても引き付けられましたが、それよりも著者が緒言で「海へ行き、海をよく観察することこそが重要である」という内容をとても写実的な、波の景色が目に浮かぶような表現で語っており、これに深く感銘を受け、私の中に潜在していた「海への好奇心」がインスパイアされたわけです。これこそがサーフィンを始めたときにおぼろに感じていた「何か」だったのです。

Kyo Masanori Photo

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海洋研究への道を導いてくれた書籍、ブレアー・キンズマン著「海洋の風波」。海を観察することの重要さに気付かせてくれた。

おそらくこの書籍に出会ったのが私のターニングポイントだったんだと思っています。なぜならば、サーフィンと部活に明け暮れサボりにサボった大学3年間を取り戻すべく猛烈に勉強をし、大学院へ進み、博士課程まで修了することになったのですから。そして、その間に、ハワイ大学のRicky Grigg教授(60年代ビッグウェーバーで海洋学者)や、スクリップス海洋研究所(サンディエゴのクラシックポイントBlacksへも歩いて行けるLa Jollaのビーチフロントに位置する研究所で教授や生徒もサーファーばかり!そして、30代後半、私もここへ行くことになる)などの存在を知り、ますますサーフィンと海洋研究が私の中で結びついていき、あとは「転がる石」の如く、気が付けば数千メートルの深海までたどり着いていたというわけです。ちょっと転がり過ぎですけどね(笑)

Kyo Masanori Photo

Kyo Masanori Photo
サーフィンと海洋研究を深く結びつけてくれた場所のひとつ・・・・スクリップス海洋研究所。右のピアは海洋観測用。ピア側に歩いていくとクラシックポイントBlacksへ行ける。

さて、次回からは私が最近、気にしている海、環境の話題などをお届けしようと思います。引き続きよろしくお願いします。

 

許正憲プロフィール
台湾出身。鎌倉・稲村ケ崎在住。
数千メートルの深海底をフィールドとする海洋研究者。工学博士。
80年代後半より15年間、Surfing World誌、Surf1st誌で自然を話題にコラム執筆。
サーフライダーファウンデーションジャパンの立上げから理事として関わり、その後、副代表として6年間従事。

 

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