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skate columnSKATE COLUMN 2015/6/17  

高山零央
1994年生まれの現在20歳。大阪を拠点に活動し、スケートに対するひたむきな姿勢と笑顔がトレードマークの高山零央。関西随一のスケートスキルを誇るアップカマーとして知られ、Expressionから昨年リリースされた”RIDE PRIDE”にて堂々デビュー。
instagram:leotakayama twitter:Leotakayama facebook:leotakayama
スポンサー:iS OLLiES, DVS shoes company, Chocolate skateboards,
NQS skate park, The bearings, Expression outfitters
1回目 2015/6/17 『ターニングポイントとスケートボード』
2回目 2015/7/1 『旅とスケートボード』
3回目 2015/7/15 『撮影とスケートボード』
4回目 2015/8/5 『未来』

『ターニングポイントとスケートボード』

まいど~!
Lesqueのハイスピード&ハイバイブス、マッキー君からバトンを受けました、高山零央です!
それにしてもQue良かったですね~
ライダー全員ハイスキルで、みんな色があってかなりカッコ良いビデオでした!
試写会では涙し、DVD観て思わずスケートに出かける日々です。
日本のレベルがまた上がりましたね。おめでとうございます!!
改めて4回にわたりコラムを書かせていただきます。
まだ若いし文才もないけど、僕なりに感じたことや知ってほしいことを書いていきたいと思います。
どうぞよろしくお願い致します!

第一回目は「ターニングポイントとスケートボード」ということで、僕の人生での岐路を書きたいと思います。

僕は島本町という大阪と京都の府境で生まれ育ちました。
水とタケノコが有名で、suntoryのウイスキー工場がある素晴らしいど田舎は、
マクドもなければTSUTAYAもありません。なので僕の幼少期のほとんどは、
“どれだけエキサイティングに鬼から逃げられるか”ということだけに注がれたわけです。
小さい頃は怖がりで、すぐ周りを気にするいわゆるヘタレやった僕ですが、
人と違うこととカッコイイものが大好きでした。
そんな僕がスケートボードと出会ったのは10歳のクリスマスの時でした。
当時離れて暮らしていたサーファーの親父からELEMENTのコンプリートをもらったんです。
一目でその“特別感” “人と違う感”の虜になりましたね…
協調性がなく、幼い頃からチームスポーツができなかったというのもありますが笑

スケートボードの持つ可能性と創造性にすっかり魅せられたんです。
タイムや記録で競う、一つしかない一番を競うものではなく、やってる人はみんな輝いて見えました。
好きなことを、好きなだけやっていいんだと。
昔から周りとの温度差で、どうしてもチームプレイの競技ができなかった当時の僕が、
これから始まる冒険に心踊ったのは言うまでもありません。僕の人生が変わった瞬間でした。
そして初めてコンプリートを手にした時、
初めてオーリー乗って身体に稲妻が走った時から絶対プロになろうと決めました。
そして、日常生活の中心にスケートボードがくるようになりました。
具体的にいうと
・四六時中脳内スケート
・早起きしてスケート行ってから学校、帰ってきてスケート、夕飯後にスケート
・スイッチスタンス強化のため利き手を逆に
・目に入るものがスポットにしか見えなくなる
・そして何気ない道の写真を撮る変な人に
・考えの中心がスケート
・天気予報見て一週間の予定を組む
・なので会うとき「いつも雨だね」って言われる(確信犯)
などなど。。。病気ですね笑
でもスケーターのほとんどの方にこの症状は見られると思います笑
話が逸れましたが、
このようにプロを目指して僕の行動範囲は自分の町を飛び出し、
大阪、そして関西や日本全国へドンドン広がって行きました。
もっと沢山の上手くてかっこいいスケーターと出会うために、
いろんなパークやストリートでスケートするためです。
最初の頃はよく分からず、とにかく名前を売るためにコンテストに出場しまくりました。
なんのコネもない地方出身のスケーターが、自分を沢山の人に見てもらう唯一の手段だったのです。
15歳の頃は特にバイブス全開で、
スキルが伴ってないけどコンテストって単語を発見したらどこにでも行ってましたね。
なので年に15戦ほど全国のコンテストに出場していました。夏のコンテストシーズンなんか毎週、地獄です。

コンテストの良いところは、普段滑らない仲間と一緒に滑れるということ、
行ったことないところにいけること、見られているので120パーセントの力で滑れることですね。
よくラストトリックは出来ないことを突っ込んでやってましたね笑 
不思議と乗れるんです。
最初は本当に負けてばかりでした。
最初の二、三年は予選すら通過出来なかったし、最下位になったこともあります。
コンテストってプレッシャーかかるし、普段の力を出せなかったり。
特に僕はあがり症だったので、頭が真っ白になりながら参加していました。
でも悔しい思いをした分、スケートに費やして自分と向き合いました。
悔しすぎて、コンテスト終わりで直接いつものパークに行って練習してました笑
あとは研究熱心になりすぎて、食事や身体の仕組みについても勉強しました。。
アスリートですね笑
なので初めてムラサキの草大会で優勝した時はめちゃくちゃ嬉しかった。
表彰状とか常に持ち歩いてましたもん笑
しかし、こうした過程でスキルがより磨かれたことはいうまでもありません。
こうして切磋琢磨したキッズが、
先輩スケーターと行動してストリートにどんどん出て行くのが良いと思います。
やはりスケートボードは街の遊びです。コンテストでスキルを磨き、ストリートで感性を磨くのです。

勝ち負けなしにしてもコンテストは、いやツアーは楽しかった。
だって全国に友達ができるんですよ?
地元にはいないタイプのスケーターに会えるドキドキ感。
その土地のものをたべたり少し観光してみたり笑 
色んなところで滑るとレベルも上がります。
タフさも上がります。
若さを全開につかうんです。
スケッチーな旅の方が楽しいに決まってる。
今はまた雰囲気も変わったし、コンテストだけがスケートじゃないけど、
コンテストって必要な要素だと思います。みんなで出場して盛り上げていきましょう。

そしてそのハングリーな過程で、大阪のスノー&スケートショップであるiS OLLiESと出会ったんです。
13~14歳の頃でしたかね、更なるレベルアップを求めて練習できる場所を探していた僕は、
店に隣接してあるNQSスケートパークで滑れるらしい!って噂を聞きつけて行ってみました。
行ってみたらお客さんしか滑れないって言われて…
iS OLLiESの名物店長原っちゃんに門前払くらったわけです。まぁ当然ですよね笑 
しかしそこに仏のオーナー、サカイマンが現れて滑っていいよと…
サカイマンがいないと、いまこうしてライダーにやってませんでしたね笑
今の関係がある上でこのエピソードを振り返ると笑えます笑

そこからアイエスとの付き合いが始まったけど、
そこで師匠のsound boardingマッチャンやライバルの切原ユウに出会ったり…
パークにはプロのホンディー君や剛君達が滑りに来たり、刺激的な毎日でした。
ショップの恒例忘年会のビデオ用に初めて映像を撮ってもらったり、
アイエスオーリーズを通して出会ったパパン君と初めて写真の撮影にいったりね。
一つ言いたいことはプロショップに行こう!ということです。
今はネットで気軽に安くで手に入るけど、
色んな情報が手に入ったり、色んな人と出会えるのはプロショップです。
そうすることで自分のスケートライフが何倍にも広がるってことですね。

だから僕のターニングポイントは…あれ、いっぱいあるぞ?笑
でも思うのは、行動することによって色んな人に出会える、
自分のこれからが左右されるような出会いがあるってことです。
ターニングポイントなんて案外そこらへんにあります。
だからどんどん動ける時に動きましょう!!
カマせるときにカマしましょう。
思い出いっぱい作りましょう。
そして間違いなく、iS OLLiESと出会って僕の人生は加速していきました。
いつもありがとう!みなさんも大阪来た時はお越しやす。

たくさん動いてセッションしましょう。
輪を、自分の世界を広げていきましょう。
そろそろ夏だしツアーに行きたいなぁ。
って感じで第一回は締めさせてもらいます。スケート最高。おーきに!

skate column高山零央
1回目 2015/6/17 ターニングポイントとスケートボード
2回目 2015/7/1 『旅とスケートボード』
3回目 2015/7/15 『撮影とスケートボード』
4回目 2015/8/5 『未来』
 
 
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