interstyle

INTERSTYLE 2025
開催:2025年2月12日(水) 〜 2月13日(木) 会場:パシフィコ横浜詳細 »
開催:2025年2月12日(水)〜13日(木)
会場:パシフィコ横浜詳細 »

アクセス

交通案内
宿泊案内

Youtubeチャンネル

INTERSTYLE movie

コラム

松本浩『第3回 アメリカ時代とアルペンレース』

2019/08/07 tag: 松本浩

こんにちは。3回目になります。今回も宜しくお願いします。
前回の北志賀ハイツの話では80年代後半から90年代前半の横乗りシーンの一部を僕の経験と思い出を元に書かせてもらいました。
僕はハイツ時代から2000年迄アルペンレーサーとして大会を転戦していたのですが、オリンピック出場を目指して94年から97年迄の3年間はアメリカにスノーボード留学をしていました。そこで今回のコラムは、アメリカで体験した事や、アルペンの事なんかを書いてみたいと思います。

Matsumoto Hiroshi photo
(学校のロゴ、冬になると生徒数が増える学校でした。)

僕がアメリカにいたのは94年〜97年の3年間、場所は東海岸の1番カナダ寄りのメイン州にあるキャラバセットバリーアカデミー(Carrabassett Valley Academy)通称"CVA" というウインタースポーツを専門に教える学校でウィンターシーズンになると生徒の数が増えるちょっと特殊な全寮制の私立高校で、アメリカ国内はもちろん、世界中からその道を極めたい人達(オリンピアンやプロを目指す人達)が集まって来る様な所でした。メイン州と聞いてもピンとこないと思いますが、ロブスターとヘラジカ(ムース)が有名で日本からの観光客は殆どいないアメリカの中でも田舎で自然豊かな所です。この学校のあるキャラバセットバリーは更に田舎で、トヨタ車に乗っている人に「日本には車ってあるの?」と聞かれる程の田舎具合でした。(勿論皆んながそうだった訳では無いですよ笑)
このエリアにはシュガロフ(Sugarloaf/USA)という山があり学校のホームマウンテンになっていました。この山の特徴はとにかく寒い事!厳冬期の平均気温が−40度、気温が低くすぎて雪があまり降らず、人口雪に頼った所なんですが、これまた寒すぎて雪にはならずに氷となって落ちて来るので、ゲレンデもパークもパイプも山全体がいつも青く凍っていました。日本で滑った事があったのはアイスバーンではなく只の硬い雪だったと思い知らされ、一から技術を覚え直す必要がありました。また、この環境でスノーボードを続けているローカル達の凄さも同時に肌で感じました。

Matsumoto Hiroshi photo
(ホームマウンテンのロゴ、とにかく寒かった笑)

学校の生徒は"USSA"(FIS系列でスキーの協会でもある)と"USASA"(ISF系列でスノーボーダーの協会)という協会に所属して3月に行われるnationals(全米選手権)に出るためのポイントを得る為に、毎週末東海岸各地で行われる地区大会に出場していました。このnationalsで優勝すると名前の通りにナショナルチームに選ばれやすいので、国の代表を目指して日々練習に励んでいました。(スノーボードのフリースタイルチームだけは全員とは言えないかも知れませんが笑)
東海岸は何処も大して雪が降らず、殆どの場所が人口雪です。中でもホームマウンテンのシュガロフは段違いの寒さとコースの硬さだったので練習するには最高の環境でした。この有り得ない寒さとコースの硬さの中でスノーボードしているので東海岸にはアルペン、フリースタイル(当時はパイプでした)共に実力のある競技者が多く揃っていて、毎週末の地区大会のレベルは相当高いものでした。アルペンで言えば学校の先輩で後にオリンピックで2回金メダルを取るセスウェスコットや、今やハーコーな山ばかり滑っているジェルミージョーンズ、パイプの方では東海岸にもう一つある同じ様な学校からこちらも後に金メダリストのロスパワーズなんかが同じ地区大会に出ていました。地区大会でポイントが一定のレベルを超えると更に大きな大会やプロ戦にエントリー出来る様になるのですが、こういった大会に出ていたメンツがまた凄い!中でもストラットンマウンテンという場所で当時行われていた"US OPEN"という大会はスターばっかり出てくる大会でテリエやトッドリチャーズ、インゲマーにダニエルフランク、ジミースコットにショーンパーマー、まだ子供だったショーンホワイト等、新旧問わず有名人が多く出てくる大会も東海岸で行われていました。
僕は3年間トライして3年目にやっと出場出来たのですが、それまで出て来たどんな大会よりも楽しく、またスノーボーダーらしい盛り上がる大会でした。

Matsumoto Hiroshi photo
(おかしい所が1箇所、わかりますか?)

アメリカでスノーボードといえばやはり西海岸やコロラドなんかの雪が多く降っていて毎日パウダーみたいな印象があるかもしれません。確かに西海岸から発信されているメーカーは有りますが、東海岸にもバートンが有ります。このバートンを作ったのは勿論ジェイクバートンなんですが、開発を共にしてバートンの基礎を作った人達の一人、マークハインガートナーが僕のコーチの一人で70年代、80年代当時の話をいろいろ聞かせてくれました。バートンの開発秘話とか、クレイグケリーを始め、名だたるバートンライダーの話とか、シムスとのライバル関係とか、憧れのショーンパーマーの話とか。本当の意味でスノーボードの歴史を知る人の話は興味深いもので、またその人達が作ってきたシーンに自分が参加出来ている事、また一緒に滑れている事に感動すら覚えました。
沢山の話の中でも興味を持ったのは競技の話でした。70年代、スノーボード自体が遊びとして流行り始めていた当時、誰が上手いのかを決めるのに最も簡単に出来たのはレースだったそうです。決められたコースを誰が1番速く滑れるか、人が決めるのでは無く機械がタイムを出してくれるので、フェアで判りやすく順位がつくレースが流行って行ったのは不思議ではありませんよね? 特に東海岸はパウダーがあまり無い所なので自然に競技がメインになって行き、沢山の大会が行われる様になって行って、競技としてのスノーボードが定着していき、段々と全米に拡がっていったそうです。
しかし、その頃の人達はスノーボードにアルペン、フリースタイルの区別は無く両方やっている人が殆どだった様です。70年代当時の板を見たらわかる事ですが、特にアルペン専用という訳でも無く、一本で両方出来る物が殆どでした。なのでフリースタイルの大会も同時に行われていた様ですが、競技としてはアルペンの方が流行っていた様です。勿論、其処はスノーボーダーなので競技で競うだけでは無く、楽しむ事も大事ですからジャンプして技を決めあったり、パウダーが少ないとはいえ全く無い訳では無かったので、数少ないパウダーデイはみんな心から楽しんでいた事と思いますよ。(僕もそうでしたから)
そこから80年代に入り、板を使い分けるスタイルになっていっても、競技者達は両方共やっている人達が殆どで、ケリーもパーマーもテリエもその他大勢のスター達もそんなスタイルでレースに参加していたそうです。

Matsumoto Hiroshi photo
(得意だったスラローム、リズム感とゲートを倒す感覚が好きでした)

実は、日本でも同じ事が起こっていて、今の様にスノーボードが何処でも出来る様になったのには少なからずアルペンレースの影響がありました。まだフリースタイルの大会が出来るアイテムなんて殆ど無く、大会をジャッジ出来る人も少なかった時代、解りやすくスキー場関係者にスノーボードの盛り上がりや魅力を伝える事が出来たのはレースでした。そして同様に両方やっている人達も多かったです。(勿論そうじゃ無い人達もいましたけど)
僕がアメリカにいた頃には徐々にアルペンレーサーが減って来ていたのでそんな話を聞いてなおさらレースが面白くなり、オリンピック出場を目指し更に練習に身が入る様になっていきました。アメリカ時代の3年間、シーズン中はほぼ毎週末大会に出場していました。その中でもオリンピック出場にはFISのポイントが大事だったのでその系列のUSSAの大会をメインに出ていたのですが、毎年nationals(全米選手権)に出場して最高位は最後の年に4位でした(先にアメリカにいた兄は優勝してました)。ですが1番最後に出場したISF系列のUSASAのnationals(全米選手権)で優勝する事が出来たので一応スポンサーや両親にも顔向け出来たのかなぁと思います。(ココが競技者としてのピークかな? そして、この時点でオリンピックから選考種目は除外されてしまいました)

Matsumoto Hiroshi photo
(大会の参加証、当時17歳、若いなぁー笑)

その後、日本に帰国してから全日本で入賞したのとアメリカでの成績もあったので、ナショナルチームに参加させてもらいワールドカップにも出場させてもらいました。ですが、選考種目でのオリンピック出場は無くなり、レースから気持ちも離れ、成績を求めるだけの横乗りに疑問を感じ始めてしまい、そんな気持ちでは成績が出るはずもなく、全てのスポンサーに別れを告げ、競技を引退しました。(まあ早い話、ドロップアウトですね笑)
其処からは競技者ではなく、スノーボーダーとして、現役時代には出来なかった好きな所で好きなように滑ったり、イントラしたり、大会の運営や設営に携わりながら未だにスノーボードを続けています。やっぱりスノーボードは最高に楽しいですね!
もう20年程アルペンボードには乗ってませんが、レースを通して覚えた規制された場所を速く滑る為の板のコントロール技術のお陰で大きな怪我も無く未だに滑れていますし、ボードだけじゃなく雪板やスノスケにも何かしらの影響が有ると思います。そして、レースをやっていたからこそ触れることが出来た人達やスノーボードの歴史が在るのでアルペンを経験して来て良かったなぁと思います。

Matsumoto Hiroshi photo
(卒業式、この中にも後のオリンピック選手がいます。しかしよく卒業出来たなぁ笑)

まだ長くなりそうなのでこんなところで。
次のコラムで最後になります。ちゃんと締めれるかどうかは分かりませんが、最近の事なんかを中心に書いてみたいと考えています。
今回もお付き合いありがとうございました。また次回宜しくお願いします。

 

松本 浩プロフィール
1979年7月11日生まれ
yukiita circus 団員 / 地形研究会員
スポンサー:CREDIT racing / YUKINEMAKI clothing / PRANAPUNKS SNOWBOARDING
/ MAKEYUKIITA / KRD / HATOS BAR / and many friends

 

INTERSTYLE magazine

INTERSTYLE magazine

2024/4/17 配信

「インタースタイルマーケット」出店ブランド 続々決定!

2024/03/21

COLUMN

COLUMN

SURFCOLUMN

柴田康弘

「海の癒しと仲間のつながりでハッピーに~サーファーズケアコミュニティ~Nami-nications」

SKATECOLUMN

WAGU (和栗公祐)

「マロン・H・ジョニーからの改名」

SNOWCOLUMN

堀井良輔

「第2回 寝ても覚めても夢。」

INTERSTYLE MARKET 2024
Thailand Amusement & Attraction Parks Expo(TAAPE) 2024
GOCAF