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コラム

佐藤亜耶『第1回 初めまして スノーボーダー佐藤亜耶です』

2021/02/03 tag: 佐藤亜耶

皆さん初めまして。プロスノーボーダーの佐藤亜耶と申します。
10代の頃からの戦友 稲村樹くんから引き継いで、コラムを書かせていただきます。これから全4回、色々な方に楽しんでいただけるようなものにできればと思います!よろしくお願いします!

これを読んでいる方の中には、私のことを全くご存知ない方もたくさんいらっしゃるでしょうし、スノーボード業界とは関わりのない方もいらっしゃると思いますので、コラム第1回は私がどんな人で、どんな人生を歩んできたかについて知っていただこうと思います。

簡単にプロフィールを書きますと
・佐藤亜耶(さとうあや)
・1995年4月9日生まれ 25歳
・新潟県津南町育ち
・早稲田大学 スポーツ科学部卒
こんな感じになります。

「へぇ〜新潟出身だからスノーボードね〜」と思った方、すみません。実は私、生まれは千葉県なんです。
「でも新潟県津南町出身っていつも言ってるよね?」と思ったいつもお世話になっているみなさん、すみません。スノーボーダーとしては新潟をレプレゼントしたくて、そういうことにしています。笑

さて、どうして千葉県で生まれた私が新潟県津南町で育ち、今も生活の拠点をそこにしているのかをお話させてください。

私の父は東京生まれ東京育ち、母は千葉生まれ千葉育ち。そして私には姉が1人います。父はもともと海に関わる仕事をしていて、ウィンドサーファーでもありました。千葉にあるサーフショップに通っている頃、店長さんから「アメリカからスノーボードってものが日本に来たよ」と教えてもらってからというもの、父はスノーボードにどハマり。冬になると毎週新幹線で湯沢に通い、スノーボード三昧。時には都会で乗るピッカピカの外車にチェーンを履かせて滑りに行くこともあったのだとか(笑)。つまりは、父は日本のスノーボーダー第一世代なのです。母や私たち姉妹がスノーボードをするようになったきっかけも、もちろん父の影響です。
そんなスノーボーダー一家の佐藤家は、姉の夏生が生まれた頃は東京に住み、私が生まれた頃には千葉に住み、そして私が2歳になる少し前に新潟県津南町に移住しました。移住のきっかけは津南町が当時Iターン(アイターン:都市部で生まれ育った人が都市部から田舎に移り住むこと)を希望する家族を募集していたことです。都会に住みながらスノーボードに明け暮れていた父は、この機会を逃すまいとさっそくこの企画に応募。すんなり当選。あっという間に移住。寒がりの母は唖然。笑
こうして千葉生まれ新潟育ちのスノーボーダー佐藤亜耶が誕生しました。

Sato Aya Photo
母、姉、父、私。1997年1月 神立高原スキー場にて。当時はスノーボードが滑走可能なスキー場も少なかったそうです。

それからというもの、私の人生常にスノーボードと一緒です。冬の週末は早起きしてスノーボード。夏の放課後は父が家の裏に作ってくれたランプでスケートボード。
もともとは両親が滑るために行っていたスキー場も目的が変わり、私たち姉妹が滑るために行くようになりました。父はよく「俺がターンを教えたのに、今じゃ一緒に滑っても置いていかれる」と嘆いています。笑

Sato Aya Photo
この頃はまだ、両親と姉のおまけ気分なわたし。まさかスノーボードを本気で続けるとはこれっぽっちも思っていない頃。

Sato Aya Photo
私、豊田貢さん、姉 JWSCのコンクリートパークにて写真を撮っていただいた時。

私のスノーボード歴の簡単なまとめ

3歳 スノーボードを始める
7歳 ハーフパイプの大会に出る
13歳 プロ資格取得、初めてのスポンサー
15歳〜18歳 ハーフパイプ全日本ジュニア強化指定選手に 
18歳〜21歳 スロープスタイル全日本強化選手に
23歳 初めてのバックカントリーを経験
25歳 バックカントリーにがっつりハマり日々勉強中

Sato Aya Photo
初めてバックカントリーを経験したのはニュージーランド。高所恐怖症を治したいと思う今日この頃です。

この通り、結構いろんなジャンルでやってきました。
今でこそキッズライダーはたくさんいますが、私が小さい頃の日本のスノーボード業界にはまだまだキッズは少なくて、15歳以下のスノーボーダーが出ることができるイベントはハーフパイプの大会くらいだったんです。ですから自然と同世代はパイプの選手が多かったです。でも私は当時、686のライダーだった高橋ミツミちゃん(以下みっちゃん)に憧れていて、みっちゃんはパイプでもスロープスタイルでもビデオでパートを取るくらい、上手でかっこよかったんです。だから私もなんでもできるライダーになりたくて、パイプもパークもどっちも頑張ることに。そんなこんなで高校時代はハーフパイプ、大学時代はスロープスタイルでオリンピックを目指しながら活動していました。結局オリンピックには出ることができなかったのですが、その結果も今の私を構成する大事な要素の一つだと思っています。もしもあの時の挫折がないままに、スノーボードをしていたらどうなっていただろう?と大人になってからよく考えます。もしかしたら、もう辞めてるかもなと。
挫折しながらも人生の大半を一緒に過ごしてきたスノーボードを、これからも続けるにはどうしたらいいかということを何度も何度も考えてきて、今に至ります。
酸いも甘いも知った上でのスノーボード、あ〜面白い。というのが、私の近頃の大変生意気な気持ちです。(まだまだ何にも知らないだろ!というご意見はごもっともかもしれないのですが、今回はご容赦ください。笑)

と、こんな感じで私のスノーボーダーとしての経歴をご説明させていただいたのですが、ここからさらに掘り下げるのは次回にしようと思います。

次回は「同じ道具、違う使い道」というテーマでお送りします!
それでは!

 

佐藤亜耶プロフィール
両親の影響で3歳からスノーボードを始める。小学生時代からハーフパイプの大会に出場。中学一年生でプロ資格を取得。10年間に及ぶハーフパイプ活動を経て。早稲田大学に入学後はスロープスタイルの全日本強化選手としてコンテストを転戦する。早稲田大学卒業と共に豪雪地帯の地元・新潟県津南町に戻り、現在はスノーボードを通じて雪の魅力やその輪を広める活動に取り組む。

 

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