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開催:2025年2月12日(水) 〜 2月13日(木) 会場:パシフィコ横浜詳細 »
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コラム

HOLHY a.k.a. Hayato Hori『第1回 暮らしとスケボーとニューヨーク』

HOLHY a.k.a. Hayato Hori photo

はじめまして!アーティストのHOLHY(ホーリー)といいます。プロスケーター阿部 直央(アベ  ナオヒロ)さんよりバトン頂きました。自分は普段はアーティスト業を生業として生活しているスケーターです。
今回は「暮らしとスケボーとニューヨーク」と題して自己紹介と経験談から話したいと思います!またこの場を紹介してくれた阿部 直央さん、本当にありがとうございます。阿部 直央(アベ  ナオヒロ)さんは(スケーターには説明不要かと思いますが)もう10年以上前からスケートボードで暮らしている日本には数少ないプロスケーターです。2020年のオリンピックも控えた現在のスケートボードに対して、ただプロとして活動していくだけでなく、MC業やアートシーン、音楽シーンといった様々な異ジャンル×スケートボードの企画を生み出し、カルチャー面でも、スケートボードを進化させようとしています。そんな尊敬する友人からのバトンタッチという事で、自分もここでのアート、旅、ライフスタイルについての話を通して、ひとりのスケーターとして、このカルチャーの未来に貢献できたら嬉しく思います。よろしくお願い致します。

HOLHY a.k.a. Hayato Hori photo

HOLHY a.k.a. Hayato Hori photo
For Element skateboard Japan / 2017

自分は、中学3年の終わりから高校一年の境目に、スケートボードに出会い、その魅力に魅せられて仲間とスケートボードを始めた一人です。そして現在、辿り着いた先が、「アーティスト」という職業でした。自分の周りには、昔から絵が好きな奴が多くて、俺よりセンスの良いやつもたくさんいました。幼馴染はジャンプの作家になったり、一緒にライブペイントし始めた唯一の相方は20歳くらいでDJ Baku、Mic Jack Producitonのジャケを描いてました。TV局のプロデューサーや映画のプロデューサーになった奴、俳優になった奴、色々います。そんな特殊な才能をもった身内が多くいても絵を描き続けて来れたのは、特別な「絵描き」という自意識ではなく、基本スケーターという存在はまさに全員がアーティストで、自己表現する事、それが当たり前だったからです。スケーターは絵も描くし、音楽やる奴もいるし、何より頭の悪いように見えて、めちゃくちゃ頭の良い奴が多かったんですね。また世の中の一人としてどうありたいかのセンスも格別にいい。音楽やファッション、街とトリックと時代をミックスするセンスは、日本国内ではかなり希少なアート媒体であったと思います。なのでこの貴重な、スポーツとなる前のスケートボードカルチャーの生き残りとしてもまた、シーンに残せるものであったらと願っています。
仕事としてのアートを収入源に暮らすことになった自分ですが、ちゃんと食えて、ちゃんと寝れて、結婚もして、スケートもして、活動している。これは自分からするとラッキー以外の何ものでありません。結論を出すならとにかく気持ちがあればイケるって話です。アントニオ猪木もそう言ってましたね。どんな職業でも、綺麗事ではなく、地道に頑張れば職業としてやっていける。そういう希望を抱くべきなんだと言う事だと思います。それがラッキーを運んできてくれるのだから、結果オーライ。絶対思っておいたほうが未来は明るい。
自分がアートを始めた頃なんて、作品売れないとか当たり前で、たまたま手描きのTshirtが8000円で売れたことが最初にちゃんと売ったアート作品と呼べたものかもしれません。この頃、自主制作アートTshirtを売ってた時は、19歳でした。自分とスケーターの友人で文化を作るという大義名分を掲げ、本屋兼レコードとカフェを融合した店を立ち上げた話に起因します。19歳で店を始めて、20歳でつぶれて、海外を放浪、日本をヒッチハイクで縦断。ガンガン移り変わる毎日の中で、ひたすらTshirtやZINEを売りました。そしてヒッチハイク先で、客寄せとして屋台の売り子など元気だけで稼いで回ったりもしてました。関西でPAの修行をしたこともあります。特に、アーティストになろうと思って生きてた訳ではないのですが、TshirtやZINE買うお客さんにとって、ただ絵が上手いだけ、作り手本人が面白くない、センスがいいってだけ、そんな奴の作品なんて絶対いらないだろうと思っていたので、当時はとにかくそう言う冒険をしまくって詰め込んで活動(?)していました。そうこうする内に、何故か高校の同級生や、クラブ界隈の友人から、グループ展の話や、仕事の話が来るようになりました。そして、その当時も色んなすげー奴が東京にはたくさんいたので、負けたくなくて千葉の方から都内に出て一人で動いていました。絵やライブペイントもアングラで一番描いたやつが一番だと信じ、年間100本を超えるライブペイントを数年間やったりしてました。まあ一番になったかはさておき笑 勢いだけでやってた感じが少し懐かしいです。けど、そのとき出会った友人はいまでも親友だと思ってますし、輪は広がってきました。そして少しずつ絵の値段も上がってきたんですね。不思議なことです。そうこうして、21歳の夏に自分はアーティストになると決めました。

HOLHY a.k.a. Hayato Hori photo

個人技で生き残ろうとする人間は、それこそ十人十色それぞれの道、スタイルがあると思います。道中や過程がこのように一生懸命というこの感じ、オシャレではないという方には、話自体面白くないかもしれませんし、そんな頑張る自分が好き、みたいなナルシストの結末や道中なんて興味ない、そう言う方もいるかもしれません。けど、自分は、これでいいと思っております。何故ならとにかく人を元気にする力がある人間、夢がある人間がそれを失わず生きていける一つの道、職業として「アーティスト」というものを語っていけるように日々精進したいと思っていて、ちゃんとやりたい事と、好きな人間とともに過ごせているからです。絵を描くということも世の中と接するという点に関しては、まずは人で、結局その人と人でプロジェクトを元気にして、アッツい仕事して、来たお客さんを喜びと美で癒す。それがこの仕事の本質だということを学びました。そこに大小はないです。だからいつでもどんな瞬間でも、熱くなれる人やプロジェクトに絡める事を探すことに尽力しています。感動が感動を生むって、ブルーハーツの甲本ヒロトさんは言ってましたが本当だと思います。アーティストってカッコつけてるとよく思われてますが、自分というアーティストはそんな必死に毎日を生き抜いてる泥臭い職業を、最高に楽しくやってます。もちろん更なる高みを目指して行きたい気持ちは変わりません。

しかし実際職業というと、「アーティスト業って普段なにしてんの?」って事や「どうやって仕事が入って来るの?」って事はよく聞かれます。これはとても不思議なのですが、修行というかもう既に決まっていたものが、絶妙なタイミングで入ってくるような感じです。いつも、あ、あんな事したいなーという思い付きとか、今まさにこんな練習が必要だな、なんて思ったりするとそう言う仕事が勝手にやって来ます。そして一つ終わると次がその翌日に入ってきたりします。ただ気を抜いてると恐ろしいほど一気に仕事もカネも無くなるので、強いて言うなら、気持ちとスキルでバイヴスを磨き、この社会で生きるのが仕事です。お金を払うと言う意味でも、それを共感できる生き方という意味でも、フィーリングの近い人と組んでプロジェクトを成功させる。そして家族や仲間とハッピーになりたい。そう言う気持ちと流れに乗ることがアーティストという仕事だと思ってます。そうは言っても、でかいプロジェクトもあれば、例え安くても絶対10年後最高なことになるんで!安くてもやりたい!一緒にお願いします!って言う仕事もあり、内容も値段も規模もバラバラです。いい意味で修行のようなもので、自分しか納得の出来ない、でもこれをやれば自分とは人としてもう少し成長できるかもしれない、結果納得できる。うまくいったな。というような、ひどく個人的ですが、最高に楽しい。そう言うことを社会といち個人の狭間でやっています。海外行って1週間仕事して、2週間遊んでいる事もあります。でも海外行っても、1ヶ月休みなしで毎日必死こいてる時も全然あります。海外でポツンと辛い瞬間も絵は一人です。俺はクルーとかそう言うのがなく一人なので、共有するという点において、こう言う場を頂けて話せる事は、とても嬉しいことです。ナオヒロくんには、改めて、心より感謝しています。ありがとうございます。
またちょうど壁画アートという仕事は、その道中で笑えるハプニングがたくさんあって、これもやっぱりこの仕事の醍醐味の一つだと思いますんで、もし面白がってインスタグラム等チェックしてもらえたら嬉しいです。そんな最近の活動の中でも今回は特に面白かった、日本人なら誰もが憧れを持つ街、ニューヨークについて。あくまで自分の体験談ですが、書きたいと思います。自分が三年連続行って描いているブルックリンのBushwick地区、Moore stムーアストリートにあるMoore Hostelムーアホステル。ここの2階フロア全面の壁画描いた企画の経緯です。(日記より抜粋した文章であるために敬語表現は使われていませんがご了承ください)

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自分がまだワーホリとビジタービザを駆使しつつ、カナダに住んでいた3年前、さあ日本に帰ろう!と心を決めた時、最後にしたい事、どうしてもニューヨークには行っておきたい!と思い立った。そして嫁さんと二人、初めてのニューヨーク旅行を計画。NYのスケーター、SHOP、美術館、ストリートアート、ピザ屋巡りにクラフトビール、日本にないカルチャーをここでもっと吸収したい、そう願い2週間の滞在を決めた。
決めてからNYにつくまではあっという間で、チケットさえとれば、翌日にはバンクーバーからシアトルまでバスで行って、飛行機4時間ちょっと。でNY到着。空港から電車でホテルのある駅まで1時間ちょい。さっそく電車に乗り込み、少し混みあった車内でスケジュールを再確認。こんときはあんな超濃厚な滞在になるとは予想もせず、ただワクワクしてた。自分の周りには、帰国したばかりのニューヨーカー、バックパッカー、仕事帰りの労働者と、多国籍すぎる車内。初のNY感にドキドキしながら最寄駅に到着。憧れの世界がもう目前。興奮しながら地下鉄から地上への階段を上がったのを思い出す。

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海外生活はトータル2年以上あったが、それでも初めてのニューヨークでのブルックリンの深夜は少しピリッと危険な雰囲気も感じていた。これが銃社会のプレッシャーなのだろうか、何か…すごく濃い。夜開いてる店も…ほとんどない。しっかりシャッターが閉まり、唯一開いていた中華料理屋は、窓ガラス3枚越しで注文を渡す。相手はマイクで注文を復唱する。刑務所みたいだった。15年前にLAで見た、家の窓ガラスすべてに鉄格子がついてた地区があったのを思い出した。そういう事なんだなー…と。聞くのと体験は全然違った。嫁さんもいたので、そんななんとかゲットした中華をさくっと食べて足早でホテルへ向かった。少し迷いながらも、なんとか深夜1時過ぎて到着。約2週間ここに泊まるのだ…とアイフォンから顔をあげてみると、何か様子がおかしい。
…これはホテルなのか??という建物。どう見てもボロボロのアパートで、しかも入り口は閉鎖されてる。おいおい。しかし…住所は間違っていない。深夜だったが、これがホテルじゃないとすると「…..まじで?」二人で顔を見合わせたが、電話も通行人に借りたが応答なし。「現在使われてません。」ジーザス。疲れもあり真っ青になった。が、嫁さんもいる手前そんなことも言ってられない。隣の家の人がたまたま外に出てきてくれたので事情を話すと…「あー、それはね、Fakeだね。うん、残念だけど。」え?Fake?詐欺ってこと?まじで?
これが最初のニューヨークでした。おいおい。さすがNY。

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とりあえずの事実として、宿なしで深夜一時に観光客夫婦が路頭に迷った。は全然笑えないし、ヘコんでる暇はない。あたらしい宿を見つけるまで動くしかない。やるしかない。
そして深夜1時からのNY宿探しが始まった。とりあえず近辺の情報がゼロだったため、WIFIが入る駅前のDunkin' Donutsダンキンドーナッツまで戻る。WIFIを確保してホテルを探す(ここは日本でいうコンビニ的な感じでWIFIが使える)。
携帯電話は持っていないので、ホテルからホテルまで一件ずつ、スーツケース二つプラスリュックという荷物を持ったままひたすら歩く。かれこれ2時間ほど探しまわり、嫁さんも文句言わずよく動いて、ようやく、ようやく一部屋だけ空きが見つかった。女性専用で一晩のみ。全然いいよ!まじあってよかった。ありがとう。これはほんと嬉しかった。これでまず嫁は助かった。さてさてさて、これで今度は自分の番。やっぱりもうとにかく歩くしかない。
どうもー今日空いてませんかー?×20。

全っ然空いてない。もはやロビーが空いてるところすら少ないし遠いのに、全く部屋がない。信じられないくらい、初日からクソハード笑 気が遠くなって来た笑 いやいや明日のことよりまず今夜だけでも。とにかく無理してでも動いた。そしてBushwick地区、この近辺では、最期のでかいホステル…、Moore Hostelムーアホステルへ到着。ここで、空きがなければ….初のNYは野宿決定。

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ここムーアホステルは、受付は24時間。宿泊客はコーヒー、紅茶、水が常にテイクフリー。そして木曜日はフリーPIZZAもやってて、5階建てで部屋数も60以上。もはや値段が高いとかそんな事は言ってられない。もしここがダメなら…それ以上の事は考えないことにした。しかし、あまりの疲れとこの先の不安から、部屋あいてる?とは容易には聞けなかった。もう10件以上回っても空いてないハイシーズン。空いてる訳ねーしなー…。と、とりあえずフロントを笑顔で「ハーイ」なんて挨拶して、広いロビーへ直行。堂々と座りコーヒーをいただき、数時間ぶりに一息。よし、行くかと思った矢先すぐに「おまえなにやってんだ?受付したのか?」と呼び止められた。まあそりゃそうだなと。しかし、ひるんでたら終わる。とりあえず持ってた自分のステッカーを渡す。名刺を渡す。そしてポートフォリオを見せつつ、アーティストをやっていて、壁画を描きたくて旅してると説明した。まあ間違ってはいない。「へー。それで?」まあそうだよな。でも、ここがダメなら終わりだ、何か活路を見出そうととにかく必死。そして、ちょっと笑いもあり、仲良くなりかけたタイミング。今しかない…ホテルの詐欺にあい初日からほとほと困ってると伝えた。「部屋空いてる?」「......はぁ?やっっぱり部屋とってないのかよ?空いてる訳ないじゃん。」一蹴。沈黙が辛い。まあそうだよな…と、まじでヘコんだ。あの感じ、今思い出すと笑える。でも次の瞬間だった。

「朝6時までに出ていけ。じゃあな。」

「…?…え?いいの?!まじか!まじで?!」

奇跡!!名前も聞き取れなかったけど、2回目行った時はもういなかったけど、あん時の彼には本気で超感謝してる。助かった。まじでありがとう。

たった数時間だが、夜を安全に過ごせるオッケーが出た。「はーっ。」っと、座った瞬間気絶。オツカレサマデシタ。

しかし、NY開眼の旅はまさにここからが本番だった。

翌朝なんだかんだ10時過ぎまでいる事が出来た。どうやら、彼に見せた絵の話がオーナーに見せたいって話になりもうすぐ来るから待ってろって事らしい。そして、何やら色々喋ってる。なんなんだ。仕事か?画材ならないぞ。いや、しかし、とは言ってもその前に俺はそれどころじゃない。何回かキャンセルが出たりしていないかと部屋ない?って訪ねたが、「それはない。」としか言われないので、呑気に待ってる暇はなかった。夜は越せたが、宿がない現状に変わりはない。俺はともかく今回の旅は嫁さんもいる。このままじゃ今夜こそやばい。内心焦りまくってはいたが、動けない。
とりあえずWIFIのパスをゲットし、ふかふかのソファにコーヒーを淹れて、あたかも客のように他のやつと情報交換しつつ、宿を探した。嫁さんもムーアホステルで合流しロビーで仮眠。確かあん時は楽観的にも、旅とはこんなものだろうと思いながらホテルのパソコンをいじってた。そうした時だった。バンクーバーを出る前に紹介してもらったNY在住の美容師K君、そのK君から連絡が来た。「たまたま同居人が急に2週間フランスの実家帰ったから泊まっていいよ。」場所もホテルのすぐ近く。ジーザス。良いことは続いた。

とりあえずオーナーは後からまたくると伝え、俺らはK君ちへ。部屋を案内してくれて、シャワーも貸りてようやく一息。昼のNYは春も暑いくらい日差しが強く、三階のその部屋の窓からは、昨夜まったく見えなかったあの憧れたNEW YORKが広がってた。あれはまじで感無量だった。NY最高。いつだってどん底から這い上がる時、人生はより美しく見えるものなのだろう。こうして最初のNYの試練を終えた。そして、夕方、起きたら丁度ムーアホステルのオーナーからメールが来た。

「描いて欲しい。打ち合わせしよう。」

最高だった。NY2日目、晴れて観光ではなく、仕事をゲットし、画材屋では友人の紹介で30%OFFで一通り揃った。
そして滞在の2週間はまるまる朝から晩まで制作に当てた。部屋を貸してくれたK君も完成まで、しょっちゅう現場へ遊びに来てくれた。こういう友人のエールはめちゃくちゃ嬉しかった。そして2週間、壁は完成。初めて具象画を書いた。そして最終日ムーアホステルの壁画を終えた帰り、全く観光出来なかった俺にK君はブルックリンビレッジや、NYの街をドライブに連れてってくれて、それがなんかすげー綺麗だった。

HOLHY a.k.a. Hayato Hori photo

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こうして地獄のようだった初日は奇跡的な逆転で、感動的なNYツアーへと変わり事を終えた。あの日から4年。ニューヨーク、ブルックリンのムーアホステルには3年間連続世話になってる。今年は夏までに行く予定。そのホステルもそうだが、その地区は(たまたま)世界的なアーティストが集まりBushwick Collectiveという壁画フェスをやっている。イケてるローカルもどんどん増えてるし、BankcyやD'faceと言ったメジャーアーティストも作品を残してる。ムーアホステルには訪れる度に、待遇も良くなり、オーナーの息子、ホテルのボスAsafアサーフとも、かなり仲良くなった。スタッフももう新人以外はだいたい友達になった。もしこれを読んでくれた人がNYのBrooklynブルックリンに泊まるなら是非Bushwick地区のMoore Hostelに行ってみて欲しい。デカイ達磨と龍、「禅の道」というタイトルで作品を残して来た、是非直で見てほしい。旅は何が起こるか分からないが、気合いがあればなんとかなる。ピンチはチャンス。ほんと感謝しかない有難かったNYツアー。改めてAsafとMoore Hostel crew、K君に超感謝。ありがとうございました。

 

HOLHYプロフィール
日本石川県小松市出身、1983年生まれ。「循環」「神秘」をテーマに、 Nikeやレッドブル、NYのホテルから、国内最大級のミュージックフェス、FUJIROCK FESTIVALのオフィシャルTshirtと幅広く活動。また個展ツアーやワークショップ、壁画、キャンバス、デザインに加えて、トークショー、PV出演、TV出演など、自分にしか出来ない事で生きる「アーティスト」という職業で、家庭を養い、潤った生活ができる状況を広めるべく、精力的に活動。オレゴン州ポートランドで開催した初の海外個展を皮切りに、ニューヨーク、ポートランド、サクラメント、バンクーバー、トロント、ロンドンにて作品を発表。現在は千葉県松戸市のアトリエにて作品を制作。
HP:https://www.holhypaintworks.com/
Instagram:https://www.instagram.com/holhy/

 

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